信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺③
2016年 02月 17日
「奥州伊達郡瀬上宿付近の、伊香良目という在家の東南に青葉山という山有、山一通松の木にて一年中青葉を見るに以って青葉山といふ、この青葉山を言移したる説なるへし」
あらためて瀬上宿付近は、伊達郡であり、「伊香良目(五十辺)という在家」が信夫山の道しるべになっていることが確認する。ただ、今のところこの「残月台本荒荻」自体の確認はできていない。
仙台側からの情報である「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」でも、寂光寺の山号「青葉山」が「信夫山の古名」であることにふれている。ただ、その経緯を「封内風土記(田辺希文)」という資料をもとにする。こちらは、以下の「「近代デジタルライブラリー」で確認できる。
「近代デジタルライブラリー29コマ【タイトル:封内風土記. 巻之1−4、著者:田辺希文 著[他]、出版者:仙台叢書出版協会、出版年月日:明26、シリーズ名:仙台叢書(第1-5輯)】」
在城北。真言宗。京都仁和寺末寺。傳云信夫郡福島一里東北。羽黒権現別富(当)。而慈覚大師開基也。後陽成帝。慶長五年十月。同郡宮代之役。現住僧名不傳。及中興開祖慶印上人。興上杉諸将戦而有功。是以慶長七年。護持権現神體(体)。到仙臺。賜地住移焉。有中興開祖慶印上人之墓。今日之行人塚。あらためて知るのは、「真言宗。京都仁和寺末寺。而慈覚大師開基也。後陽成帝。」の部分かな。リビング福島「信夫山散歩」の趣旨と重なるのは、後半だろうと思う。
ここからは、「在城北」の位置情報と、「有中興開祖慶印上人之墓。今日之行人塚。」の遺跡らしきものの情報も拾える。