NHK大河ドラマ「真田丸」と仙台③
2016年 01月 31日
白石に来た大八は、仙台藩士に取り立てられて片倉四郎兵衛守信と名乗り、仙台藩領内に領地を与えられる。その後、刈田郡の矢附村と曲竹村などを知行地として与えられるのだが、これらが現在の蔵王町内の地域ということのようだ。
それで、蔵王町も盛り上がっているというこのようだが、もっと深い縁もあるようだ。
寛保3年(1743)仙台真田氏3代信成氏が、自らの領地から刈田郡曲竹村内30石余を割いて、弟の英信氏に与えて分家を立てるようだが、その分家の所在地も同所であり、現蔵王町であるとのことだ。
この分家を立てたことについても、真田家の自家の生き残り再優先の考え方とのかかわりで説明されるものを見る。
仙台真田氏は片倉を名乗っていたのだが、正徳2年(1712)に真田姓に復帰できたとのことだ。これに続いて、より確実に真田幸村の血脈を絶やさず後世に伝える手段を講じようとしたとの憶測のようだ。
分家があれば何らかの事情で宗家の後継が絶えたとしても、分家をもって幸村の血脈を伝えていくことができると考えたのではないかということのようだ。
現在、NHK大河ドラマ「真田丸」では、幸村の父昌幸が天下取りの野望渦に囲まれた環境の中、その自家の生き残りをかけて奮闘中というタイミング。
前々回放映の「真田丸第2話『決断』」では、北条につくか上杉につくかの判断を迫られる環境設定。
いつも大河視聴の参考にさせていただいている「坂の上のサインボード」によれば、実際には、昌幸は早くから武田氏の滅亡を予測していて生き残りの道を模索していたことが史料で明らかなのだとか。
その一つが北条氏からの書状。勝頼の死の5日前には叔父の矢沢頼綱に沼田城の守りを強化するよう指示した書状を送っているという。その一方で、勝頼の死の翌日付で北条氏邦が昌幸宛に送った書状では、以前から北条氏に帰属を打診していたことが確認されるという。
更に前回放映の「真田丸第3話『策略』」では、織田信長に下ると決めることになった昌幸が、生き残りをかけて、真田家を売り込むために一芝居うったとのこと。この回、所用があって見逃している。
「Yahooテレビ」の情報から「真田丸」第2話『決断』と第3話『策略』のあらすじを確認しておく。
「真田丸」第2話『決断』あらすじ
信幸(大泉洋)、信繁(堺雅人)ら真田家の一行は、武田家の本拠地・新府から父・昌幸(草刈正雄)の待つ岩櫃城(いわびつじょう)へ落ち延びようとしていた。道中、岩殿城へ逃げた武田家当主・勝頼(平岳大)が裏切りに遭ったとの知らせが一行に届く。武田家の滅亡を受け、事態は一気に流動化する。東海の有力大名・徳川家康(内野聖陽)も旧武田領を虎視眈々(たんたん)と狙う。主家を失った真田家は、北条につくか上杉につくかの判断を迫られる。やがて昌幸は、息子たちの前で思いもよらぬ決断を下す。(Yahooテレビ)
「真田丸」第3話『策略』あらすじ
織田信長に下ると決めた昌幸(草刈正雄)は、一家を率いて故郷・信州小県郡の真田の里に帰ってきた。信長は、武田の残党を厳しく処分している。昌幸は何とか従属を受け入れてもらうため、小県郡の武将・室賀正武(西村雅彦)を利用した大胆な策を巡らせる。信繁(堺雅人)は思いを寄せる地侍の娘・梅(黒木華)に土産を届けるが、2人の幼なじみである真田家の重臣の娘・きり(長沢まさみ)はそれが面白くない。3人がぎこちない再会をしていると、真田の農民と室賀領の農民との間で小競り合いが起きたという知らせが入る。真田の農民たちを助けるために駆け付けた信繁の前に、意外な人物が現れる。(Yahooテレビ)