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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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NHK大河ドラマ「真田丸」と仙台②

 「片倉小十郎」と結びつきの深い白石のホームページを確認したら、便乗情報盛り沢山で、充分楽しめそうだ。その中の白石史跡探訪「片倉小十郎と真田幸村」から情報を拾う。
 http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/sanadamaru.html
 二人がかかわりあうのは、「大阪夏の陣」のようだ。

 まずは、「真田信繁(幸村)」の「大阪の陣」での活動の確認。
 次のような紹介になっている。
 「大阪の陣」では、豊臣方の武将として大阪城に入場し、冬の陣においては真田丸を築き徳川の攻撃を防ぎきり、夏の陣では徳川家康を追いつめましたが、後一歩のところで戦いに敗れてしまいました。その戦いぶりから「日本一の兵」とたたえられています。
 幸村は落城前夜自らの死を覚悟し、敵将である片倉小十郎繁長に子女たちの将来を託したとのことだ。
 次に、片倉小十郎側からの「大阪の陣」での活動を確認する。
 「大阪の陣」では、片倉小十郎率いる伊達軍は徳川方で出陣するが、片倉小十郎の活動については、「鬼小十郎」の項で次のように紹介される。
 「大阪夏の陣」、8日月と愛宕山大権現守護所と書いた前立物をつけて出陣しました。黒釣鐘の大馬験を掲げ、伊達の先陣を切った姿が表紙の屏風に描かれています。道明寺口において大阪城ら出撃してきた薄田隼人正兼相、後藤又兵衛基次の軍と相対し、これを打ち破り、その後、真田幸村と激戦を繰り広げ、鬼小十郎の名を天下に馳せ、片倉隊・伊達勢日本一の評価を受けました。
 この「道明寺口の戦い」は、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われたもので、この時、大阪城の外堀は、既に埋められていたため、豊臣軍は城を出ての戦いを余儀なくされたもののはず。

 この時、二人は敵として戦っている。片倉小十郎は、その敵将幸村から子女たちの将来を託されたということだが、これを快く引き受けたのだとか。小十郎は、幸村の子供たちを自分の領地である白石へと呼び寄せたとのこと。
 白石に来たのは、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八の4人なそうだ。この4人のその後だが、阿梅は小十郎の後添えとなっているという。そして、阿菖蒲は伊達政宗の正妻愛姫の実家である田村家第31代当主定広に嫁いだという。
 肝心の大八は、片倉四郎兵衛守信と名乗り、仙台藩領内に領地を与えられて、仙台藩士に取り立てられたということだ。この末裔が昨日整理の仙台真田家ということで、その後14代続いているということのようだ。
by shingen1948 | 2016-01-30 08:27 | Comments(0)