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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址21~供養塔2基が語ること

 福島城は、蒲生氏郷公から信夫五万石を任された木村吉清氏が文禄元年(1592)頃、大森城から杉目城に移り、福島城と改称されたことに始まる。
 それ以前は、杉妻城あるいは大仏城と呼称されていたとのことだ。それは、杉妻寺の大仏堂が城内にあったためといわれているとのことだ。
 「福島城(杉妻城・大仏城)」では、その原点である大仏堂の存在した時代を発掘された多数の板碑群の出土品から鎌倉時代にさかのぼると推定している鈴木氏の論文をもとに整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7876632/
 その鎌倉時代にさかのぼると推定される寺院の境内と杉妻城あるいは大仏城とされる居館は、隣接か同居していたとの考えだ。
 ここでは、城の成り立ちのスタート時点に視点をあてた整理になっている。

 今回は、その寺院を視点に発信される情報を確認してみる。
a0087378_959854.jpg まずは、「大佛城跡出土宝塔」の案内板に「この宝塔は墓しるしに建てられたもので、福島城の前身杉妻寺という寺を城とし、眞淨院にある延慶3年の板碑もこの地にあったものです」とあることについての確認。
鈴木氏は、以下のように多数の板碑群の出土を紹介するのだが、この情報は、その中から「眞淨院にある延慶3年の板碑」一点に絞った紹介をする。
 ○ 宝暦年中二の丸台所土中より、大佛と縁のある到岸寺へ
 ○ 本丸堀溝土手中より、文永10年阿弥陀の梵字古碑出土
 ○ 本丸東奥稲荷近くから胎蔵界大日の梵字古碑出土
 ○ 本丸東門の東大隈川端の石垣の中に梵字のある石多数。洪水のたびに崩れて水没
 ○ 二の丸殿中裏通堀端に梵字の大石古碑
 ○ 蓮掘への給水掘りに石橋二枚、うち一枚は釈迦の梵字古碑
 ○ 大手門東の石垣中大石に、金剛界大日の梵字

 次に、絞られた「眞淨院」を確認する。
 その眞淨院入口の案内板の説明からその関連を拾うと、「伊達郡霊山村に弘法大師によって創建された遍照寺がその前身であり、慶長年間に伊達政宗が同地に再建、その後、上杉藩が後身として現在地に建立した」とある。
 この「慶長年間に伊達政宗が同地に再建」が、他の情報と照らし合わせると福島城内のようで、「福島市史」では具体的に密語橋北方郭内代官屋敷とするようだ。元々「大佛城跡出土宝塔」があった場所が、県庁西庁舎南の土塁近くとのことなので、その関連性も想像する。
 寺伝の権威の継承を強調する傾向を差し引いて懐疑的に見たとしても、伊達郡霊山村に創建された遍照寺が衰退して、慶長年間に伊達氏によって福島城内に再建されていたということには説得力があるように感じる。
by shingen1948 | 2016-01-26 10:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)