人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

福島城址⑳~福島城下規模の変遷②

 福島城として紹介されるのは、明治時代まで残っていたという福島藩主板倉氏が構築してきたという城址だ。しかし、それはほぼ完全に崩壊しつくし消滅していて、イメージしにくい状態だ。福島城下の変遷を確認しているのは、その条件下で、文禄2年(1593)に蒲生氏郷公の客将木村吉清氏が居城の大森城から町屋寺院を杉妻城下に移して「福島城」とした城のイメージを確認したかったからだ。

 福島城の前身である大仏城や杉妻城は「城というより館」であったということのようで、この館の規模のイメージについては、「福島城址⑪~『杉妻稲荷』」で確認している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/22105854/
 この確認で分かるのは、地域に詳しい識者は「重次福島城普請の頃」までの杉妻城とか大仏城の時代の城を、県庁西庁舎付近の館としての規模を想定しているらしいということだ。

 昨日確認の文禄2年(1593)に木村吉清氏が居城の大森城から町屋寺院を杉妻城下に移して「福島城」とした城の規模について、「歴史に学ぶまちづくり2」の「福島城下の誕生」の紹介で「当時は城というより館であった」との解説。
 このことから、杉妻城とか大仏城の時代の城のイメージと重ねてよさそうに思うということ。

 木村氏は、城を移すときに大森城の町屋、寺院も杉妻城下に移したといわれる。
 「清明学区の歴史」では、そのことについて「吉清は、城を移すときに、大森の町や寺の名もそのまま福島に移したといわれ、今も残っている荒町・元町・中町など、大森の字名と同じことにも大変興味あることである」と記す。
 新(荒)町・中町・本町・上町・北町・馬苦労町が城を取り囲むように整備されるのは、慶長3年(1598)に上杉氏が若松城主になって、福島城がその支城として伊達氏に対する軍事拠点としての城が構築された時代ともいわれる。
 この城下の規模は、杉妻城とか大仏城の時代の城の規模と重ねてイメージすべきものと考えれば、城の西面と北面付近の杉妻稲荷付近までの範囲なのだろうなと勝手な想像をする。
by shingen1948 | 2016-01-22 08:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)