地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑲~福島城下の変遷

 「譜代大名板倉氏の治績」の18章で、福島城は、文禄2年(1593)に蒲生氏郷公の客将木村吉清氏が居城の大森城から町屋寺院を杉妻城下に移して「福島城」として以来、百十余年という中世以来の歴史風格を持つことが紹介される。
 そう紹介されると、連続的に城があり続けたというイメージを持つが、そうではないらしい。
 市政だよりに連載された「歴史に学ぶまちづくり2」の「福島城下の誕生」の紹介から、その不連続部分に視点をあてて読み取ってみる。

 文禄2年(1593)に会津の支城を大森から杉妻に移した木村吉清氏は、翌文禄3年(1594)には、京に移ってしまう。そして、その翌年の文禄4年(1595)には、秀吉の命により福島城は破却されているのだとか。更に、その2年後にはこの畠から82石の年貢が徴収されていることが紹介する。
 ここでは、この「当時は城というより館であった」との解説も、福島城下の規模の変化にかかわって気になることだ。

 次に福島城が再興するのは、慶長3年(1598)に上杉氏が若松城主になった時だ。この福島城は、伊達氏に対する軍事拠点としての城が構築される。(城代は当初が水原親憲(5500石)氏で、有名な本庄繁長(1万石)氏は慶長5年(1600)からという別資料情報も)
 この時の城下規模にかかわって、新(荒)町・中町・本町・上町・北町・馬苦労町が、城を取り囲むように整備されたと紹介される。
 この上杉氏の寛文4年の削封によって、本荘氏は福島城を去る。ここまでが、福島城の支城時代のようだ。
 この時代から延宝7年(1679)に15万石で本多忠国氏が福島藩として入部するまでの間、ここは幕府領の陣屋福島御役場になるようだ。

 延宝7年(1679)に本多忠国氏が15万石で福島藩主として入部する。福島城としては、この時から独立した福島藩としての城となる幕開けになるようだ。
 ただ、ここには陣屋があるだけだったので、千人の家臣団は臨時の小屋掛け普請で間に合わせなければならなかったらしい。それで、現西山城に築城の計画を立てたのだが、3年後に姫路城に移ったため、工事は沙汰止みになったという。このことについては、西山城の散策整理でふれたような気がする。
 この時から貞享3年(1686)に堀田正仲氏が10万石で福島藩主として入部するまでの間、またもや幕領となる。

 10万石で堀田正仲氏が福島藩主として入部して以降、板倉氏までの時代については、先にふれたので略す。
by shingen1948 | 2016-01-21 08:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)