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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑰~強まった豊かな水辺のイメージ②

 先に福島用水の取水口付近の風景を確認し、以下に整理している。
 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景
 http://kazenoshin.exblog.jp/19806775/
 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景②
 http://kazenoshin.exblog.jp/19811996/
 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景③
 http://kazenoshin.exblog.jp/19814417/
a0087378_5551992.jpg ここから福島用水や内堀外堀への水が供給されているのだが、その水筋を追っても、そのことを案内されるものを見ない。その案内板を目にするのは、野田町に入ってからだ。旧高湯街道と用水路が交差する付近にその案内板が建つ。なお、この写真は2009年7月の散歩時のもの。


 史跡 旧高湯街道と御用水路
 元禄15年(1702)福島藩初代板倉重寛から明治新政まで12歴代藩主は領内の殖産振興を図るための治水開田に意を注ぎ、4粁(キロメートル)先(竹の内前)天戸川より引水の為掘削したのが御用水路である。取水口には番所が置かれ、役人(水守)がいたのである。
 ご用水路に沿って旧高由街道がある。慶長年間(1600)高湯温泉の開湯によってできたものであり、県令(県知事)三島通庸によって明治16年現在の高湯街道が開削されるまで、焼く00年間湯治荷物を背負い行き交う人で賑わったという。
 平成20年3月
 野田町南町会

 ここでは、「元禄15年(1702)福島藩初代板倉重寛から」と案内されるが、今回の散歩で「堀田時代には内堀外堀などの郭内整備や福島城下町の姿が確立していた」との情報を確認している。多分、識者は板倉氏時代の資料を基にしているのでその範囲での解説になっているのだと思う。
 自分は単なる散歩人の立場なので、この風景も堀田氏の時代から引き継がれているものとして想像を膨らませる。元禄13年(1700)から2年ほど幕府領になるブランクはあるが、少なくとも16年程時代を遡って想像を膨らませてもよいとの勝手な思いだ。
by shingen1948 | 2016-01-19 08:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)