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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑰~強まった豊かな水辺のイメージ

 今回の福島城跡の散策は、大原新病院建設予定地の発掘調査についてのパネル展示に刺激されたものだ。この散策で強く意識したのが、新屋敷、三の丸を中心とした土塁と堀だ。また、密語橋の確認を通して、城の西側の外堀と共に西側の内堀をも意識した。
 「清明学区の歴史」によると、元禄の柳町絵図などから福島城下町の姿は堀田時代にはすでに確立されていたとみられているらしい。
 昔、市政だよりに連載された「歴史に学ぶまちづくり2」の「福島城下の誕生」では、文禄2年(1593)、蒲生氏郷公の支城として大森から杉妻に移った時代からの福島城下の変遷を記し、以下のように堀田時代に福島城下町の姿が確立したことについて解説する。
 福島は、またも幕領となったが、4年後の貞亨3年(1686)に綱吉時代の大老で、暗殺された堀田正俊の子正仲が、10万石の大名として入部してくる。その支配地は渡利や上大笹生を除く信夫郡のあらましと伊達郡の一部に及んだ。この堀田時代は元禄13年(1700)まで14年ほど続くが、内堀外堀などの郭内整備や柳町仲間町の誕生など規模の大きな城郭と城下が構築され、それが後の板倉時代に引き継がれていく。
 奥州街道の中央を用水が流れていたことなどは、先の散策でも意識していたのだが、今回の散策を通して、整備された内堀外堀を意識するようになったことで、水郷のイメージが強まったように感じている。

 のりしろ散歩の福島用水の取水口付近の風景は、その福島用水や内堀外堀への水を供給する源としてかかわるのだが、ここを散歩している時点では、町方用水とか、福島町・曽根田・五十辺方面の開田用水などのイメージは持っていたが、福島城郭内の内堀外堀とのかかわりまでを強く意識していなかったように思う。
 今回の散歩では、もう一つ見え方を変えたい事がある。それが「堀田時代には内堀外堀などの郭内整備や福島城下町の姿が確立していた」との情報を確認したこと。
 識者は、福島用水の取水口付近の風景は、板倉氏時代の資料を基にして思い描いているので、その範囲での解説をしてくださるが、自分は単なる散歩人の立場だ。この風景は、少なくとも堀田氏の時代から引き継がれているものとして時代を遡って想像してもよさそうに思えるということだ。

 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景
 http://kazenoshin.exblog.jp/19806775/
 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景②
 http://kazenoshin.exblog.jp/19811996/
 〇 のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景③
 http://kazenoshin.exblog.jp/19814417/
by shingen1948 | 2016-01-18 08:25 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)