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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑮~外三の丸外堀付近の風景

 福島城址の大手口付近の原風景を確認して、「歴史地図」を眺めていたら、御用商人「粉屋又兵衛屋敷」がプロットされているのに気が付いた。絵図を見直すと、ちょうど道路にかかる辺りに「〇兵衛」が読めるような気はするが、はっきりはしない。
 昔「ふれあい歴史館」だったところに「粉又」という日常雑貨や電化製品を扱う店があって、よく買い物をしたことを思い出したのだ。これが「御用商人粉屋又兵衛」だったのかなと思ったので家人に話したら、「粉又」は老舗だったらしいことを聞いた。よそ様が聞いてもしらける事なのだろうが、一人納得している。

 さて、先に外三の丸付近の風景を「宝積寺と長楽寺④」として整理しているのをみると、発掘調査された新屋敷から内三の丸、外三の丸の外堀を連続的に見ての整理になっていなかったように思う。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8636405/
 今回の整理の延長として少し眺め直してみる。
a0087378_6594253.jpg このラインを追ってみた時に目につくのは「出世稲荷」だが、この稲荷にふれた散歩資料の多くをみない。この時の整理では、ここが「福島城三の丸角で、この稲荷は旧三の丸の鎮守で、東北(うしとら)の鎮護らしい」とした。「宝積寺」にかかわる資料をもとにしているのだが、何も違和感がなかった。というのは、確かにこちらが福島城の東北(うしとら)の方角であり、その先に「宝積寺と長楽寺④」があるということで、説得力があったのだ。不安になっているのは、この稲荷が城とのかかわりで解説される散歩資料をみないということだ。
 ただ、新屋敷から内三の丸、外三の丸の外堀を連続的に見てきたときに、ここが「三の丸土塁跡」であることの想像が自然であり、この前の道筋が外三の丸の外堀だろうという想像が自然だろうと思えるというはある。
 ならば、この土塁が残っているのは何故かと見た時に、この稲荷があって撤去に躊躇されたからという勝手な想像を加えてみた。
a0087378_704412.jpg ここが外三の丸の土塁という見え方ならば、その南側から眺めた風景がほしいということで撮り溜めた写真を探してみたら、元日赤病院跡地の駐車場側から眺めた写真があったので、これを張り付けておく。
 この写真は、2010/1/27に、レンガ造りの建物を確認する散歩の中で撮ったものだ。

 なお、この稲荷の通称はねこ稲荷ということで、散歩資料では養蚕にかかわる稲荷として紹介されるのはよく見る。
by shingen1948 | 2016-01-16 08:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)