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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑭~大手口付近の原風景

 「福島城址⑫~「杉妻稲荷」②」で「杉妻稲荷」の位置情報を確認しているのには、この辺りが「福島城」の大手口付近の原風景とかかわるという興味が加わっている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/22110333/
 ここは街道筋から見れば、上町札の辻ということでもある。更地前の福島市資料展示室前に道路元標があり、その説明板が建っているのだが、その説明からここが旧城下の高札場であったことが分かる。

 今回の整理では、西在の散歩とのかかわりで「福島城址④~福島強訴との関連で」福島藩の対応についての整理をした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/22033734/
 その対応場所が、ここ大手門先札ノ辻西門屋敷の馳走屋(現在一司堂印舗、中合、木村時計店付近)ということであったが、その馳走屋についての情報を見つけた。
 「野田村郷土史」附録「福島沿革誌」の「福島町之概略」の項に、「馳走屋ノ事」として、以下のように解説する。
 上町札の辻通西角屋敷に元禄度入国以来馳走屋ありしも追々出火罹災の為め焼失文政の度焼亡以来建設せす 近く天保の末年頃迄は追手木戸外西の方に冠木門斗り在したりしも其後取払に相成る 右馳走屋は諸藩使者及都市外交に関する応接所なり
 「清明学区の歴史」では、この位置を現在一司堂印舗、中合、木村時計店付近とするが、今の「ホテルサンルートプラザ福島」の位置。
 農民代表は、ここで奉行池田弥惣右衛門ほか郡代代官等から「強訴は法度であるから帰村するように」説得されたということのようだ。

 なお、農民一揆とかかわって、慶応2年6月16日の農民騒動鎮圧のため飯坂村の堀切より加勢を乞われていること、6月17日には桑折陣屋より加勢を乞われる手紙を受け取っていることが記される。
 散歩で飯坂村の堀切邸を訪れれば、村人のために尽力するその功績の側面に感心する。しかし、ここで見えてくるのは、堀切氏にとって農民一揆は鎮圧すべき農民騒動であるという所詮権力者側の論理での対応であるということ。ここでは、功績の過剰評価への戒めと感じておく。
by shingen1948 | 2016-01-15 08:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)