地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑬~「杉妻稲荷」③

 「ふくしまの歴史」では、「杉妻稲荷」が福島城の守護神で福島城の東北の守りとしていたとすることの確からしさを解説するのに、伊達氏とのかかわりにふれる。
 「野田村郷土史」附録「福島沿革誌」によれば、「福島城は、天正18年木村長門守重次築之」のだが、これ以前「福島城始伊達次郎直行―伊達藤五郎の祖居城」とされていることにかかわっているのだと思う。
 永禄元亀天正の頃伊達信夫両郡は伊達輝宗 次て政宗領する所にて一族伊達安房大森城 政宗は梁川城 伊達主膳掛田城にあり 都て領する所高百廿万石余 福島城は此時大森城の持城にして番鎮せしならん
 この時の城のイメージが、「福島城址⑪~『杉妻稲荷』」でふれたように、西庁舎付近のようなのだ。
 その前提で、仙台市評定河原発見の「稲荷神碑」に伊達郡・米沢藩主の頃稲荷神社を祭ったとあるのは、当時の杉目(福島)の鎮守が稲荷神であることを証明しているとの紹介。続いて、福島近郊の有名な稲荷神社が紹介されるが、その筆頭に「杉妻稲荷神社」が紹介される。

 仙台市評定河原発見の「稲荷神碑」を知らなかったので確認する。
 「時の散歩/仙台寺社巡り」のページ、「穴蔵神社」の項で紹介される「稲荷神祠頌」が重なるように思える。
 http://www3.plala.or.jp/gameticket/index.html#top
 この碑は「昭和8年(1933)評定河原埋立工事中に発見され現在地に再建された」とあることと「享和元年(1801)の作で天保6年に埋没したもの」との情報が、「ふくしまの歴史」の「稲荷神碑」の情報と重なっている。この碑の現況の情報とみる。

 なお、信夫の西在散歩では、「永禄元亀天正の頃伊達信夫両郡は伊達輝宗 次て政宗領する所にて」の以前に、信夫の西在名倉荘には二階堂氏の存在があったことは、西在からの視点として確認しておきたい。福島側から眺めた歴史では、その歴史は消えてしまうことの再確認でもある。
by shingen1948 | 2016-01-14 08:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)