福島城址⑫~「杉妻稲荷」②
2016年 01月 13日
この位置は、「福島城」の大手口付近の原風景ともかかわる。それで、「発掘調査展示資料」に今回の調査位置を奥州街道とのかかわりで示した絵図で、「杉妻稲荷」の位置情報を確認してみる。
赤の部分が奥州街道で、今回の調査位置が黄緑で示されている。
この絵図に「杉妻稲荷」脇の案内板情報を重ねる。
ここには明治時代に開削されたという「郵便局の北通り」が出てくる。発掘現場位置とのかかわりから、それが紫の線で示した辺りだと想像できる。
案内板情報では、そこが行き止まりで「杉妻稲荷」は西向きに建っていたとあり、この道路の開削と郵便局の建設のために移動されたとある。
この情報だと「郵便局の北通り」から南側にかけての辺りの位置をイメージする。絵図だと、この辺りはびっしりと建物が並んでいたように描かれる。杉妻城(福島城)の艮(うしとら)(東北)の守りである「杉妻稲荷」は省略されているということになる。
ただ、「ふくしまの歴史」の情報では、もとは福島郵便局の敷地内にあり、明治になって現在の場所に移されたとする。これなら、お城口のもっと南に寄った黄色枠で示した辺りと想像することもできそうだとも思う。
曖昧さは残るが、大原新病院建設予定地の発掘調査で明らかになったことと「杉妻稲荷」の位置情報を重ねることで、「福島城」の大手口付近の原風景の想像が膨らんだような気はする。