地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑩~密語橋に込められた思いとは④

 密語橋は、杉妻会館庭園内に移築保存されるということで、お邪魔したのが、写真を確認すると2009/6/19のようだ。
 会館に入ると密語橋についての説明と「ご自由に庭に出てご覧ください」との案内板が設置されていた。
 密語橋(ささやき橋)
a0087378_5262850.jpg 笹木野の折杉にあった大杉を材料に南から福島城に入る道筋(現在の杉妻会館の西)に架けられ、後に土橋になった。
 この大杉の精は、「おろす」という美しい娘に恋をして、切り倒され、お城の橋となった後も、毎晩、娘を思って「おろす」とささやく声が聞こえたことから「密語橋」となったといわれるようになったといわれている。
 福島の城下まちづくり協議会
 小心者の散歩人としては、なかなかお邪魔しにくかったのだが、食堂を利用させていただくことで玄関の壁はクリアーでき、案内板を見たことで、庭に出ることの壁がクリアーできた。
a0087378_5304252.jpg これが、杉妻会館庭園。
 その復元された密語橋は、この庭園の一部となって風景に溶け込んでいる。

a0087378_5333472.jpg これが、移築保存されたという「今の荒町の東裡通り、おさらぎ荘の向かいの芳賀商店と新房ちょうちん屋さんの間から阿武隈川にそそぐ小川にかけられている橋」なのだと思う。主柱には、密語橋の銘が見える。石造りの密語橋だ。
 伝説を感じるということではない。移築保存なので位置情報の役割でもない。大きな役割は、道路事情がいろいろ変わっても最近まで密語橋の痕跡が残っていた証ということだろうか。

 王老杉が密語橋になった時代を「重次福島城普請の頃」との認識で理解できるのは、この辺りまでかなと思う。
 その時代の整合性をさておけば、気になるのが、「杉妻稲荷」。
 杉の御魂の祟りをなだめて祭った杉妻大明神である杉妻稲荷が、当地の産神とするという。
 密語橋になった時代が「重次福島城普請の頃」との前提なら、当地の産神であったものを杉妻大明神として祭るという過程があったということだ。更に、杉の御魂の祟りをなだめて祭るということが、「重次福島城普請の頃」なのか、昔の話なのかということで、ちょっと混乱。
 散歩の中でこの神社が気になるのは、その位置情報だ。現在はこの神社は板倉神社脇に鎮座するのだが、元々は福島城の大手門口にあったというのだ。そして、そこが福島城の鬼門を守っていたということになっているということだ。現福島城の大手門口は、城全体の真北の位置だ。それが城の北東で、十二支でいう丑寅の方角の守りとすることの情報確認が必要のようだ。
by shingen1948 | 2016-01-11 08:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)