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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島城址⑨~密語橋に込められた思いとは③

 密語橋に使われた木は、代々切ってはならないと言い伝えられてきたご神木なのだろう。それを恐れずに切って、これを城の材料に使って利用するという立場の視点で組み立てられた物語であることを念頭におけば、気になるのは城全体の中での密語橋の位置づけだ。
a0087378_6182643.jpg 杉妻会館の前には密語橋の案内板が建ち、位置情報を提供してくれる。その案内板には、板倉時代の絵図に描かれる密語橋と杉妻会館庭園内に移築保存される石造りの密語橋の写真が掲げられる。

 地元「清明学区の歴史」が伝える「密語橋の由来」は、こんな風だ。
 今の荒町の東裡通り、おさらぎ荘の向かいの芳賀商店と新房ちょうちん屋さんの間から阿武隈川にそそぐ小川にかけられている橋が「密語橋」である。最初は木の橋で、元禄年間(板倉藩時代の場外堀にあたる)は、長さ5間、巾2間の手すりのついた板橋がかけられていたそうだが、その後、天保の末(1839)頃に土橋にかけ替えられたと伝えられている。「袖焼橋」ともいわれ名前の起こりは三十三間堂棟木の由来とよく似た伝説が伝えられている。

 その後、昨日整理よりも詳しく「王老杉」伝説が紹介される。
 
 まだ確認はしていないが、「信達一統志」に、密語橋になった庭塚の杉の御魂が、永祚年中(989)に朝廷に祟りをなしために平安中期の陰陽家、阿部晴明と芦屋道満が下向し、平癒を祈願したとあるらしい。更に、村人はこのため壇を築き、それが道満塚、清明塚であると言う。さらに杉の御魂の祟りをなだめて祭ったのが杉妻大明神とし、この杉妻稲荷こそは当地の産神であるとしているとあるという。
 いろいろな時代のいろいろな要素が紛れ込むのだが、「城全体の中での密語橋の位置づけ」に視点を絞って情報として拾えば、要素的には「密語橋」「道満塚、清明塚」「杉妻大明神」ということになる。
 城全体からこれらを眺めると、気になるのが方角で、密語橋が設置されるのは、城全体の南西で、十二支でいう未申の方角だ。「道満塚、清明塚」もその延長線上にある。
 鬼門が北東で、十二支でいう丑寅の方角ということなら、こちらはその正反対の裏鬼門ということになるようなのだ。

 密語橋になった時代が「重次福島城普請の頃」ということとの整合性がないことは頭に入れておく必要はあるのだが、密語橋の設置には、この裏鬼門に鬼門除けとして、木の精を持ってきたという想像は大胆すぎるだろうか。
by shingen1948 | 2016-01-10 08:27 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)