先に
「福島城本丸を訪ねる」の整理で、「小倉亭」に掲げられた案内板と「紅葉山公園」に掲げられた案内図を示した。
http://kazenoshin.exblog.jp/7872318/

これは、その「紅葉山公園」に掲げられた案内図の中の今回の発掘調査部分を示したものだ。その図の中の丸で囲んだ部分が、今回のパネル展示で示された発掘現場付近だが、堀の位置が新屋敷の辺りで微妙に違うのが分かる。

比較のために、パネル展示で示された発掘現場付近を掲げる。この図と比較すると、三の丸の堀の延長線が北側の道沿いと推定されていたものが、実際は、その三の丸の堀は若干南に下がって新屋敷を囲む感じだったらしいことが分かる。更には、その堀が米沢口まで伸びていたように推定されていたようだが、実際には元郵便局の手前で、警察署の方(南に)に折れるような感じだったように修正されていることが分かる。(小倉亭の案内板では、この部分がすでに修正されていたのは、福島警察署分庁舎建設に伴う発掘調査とかかわっているらしいことは先の整理で分かる)
昨年末整理した一揆の福島強訴について、「清明学区の歴史」が具体的にその位置を推定していることにふれたが、それがこの新屋敷―三の丸―外三の丸の福島城の外堀と土塁のラインの外側辺りの推定らしいのだ。