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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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義民太郎右衛門霊堂⑥

 一揆のその後を確認すると、二本松藩預かりになるようで、そちらの確認をしたいところだが、それは後にする。ただ、この辺りの地域的な文化圏としては、福島文化圏より二本松文化圏に近いのかもしれないのかなとも思う。

 さて、「義民太郎右衛門霊堂の誌」の以下の部分だが、これはいわゆる「佐原堰」を指しているのだろうと思う。
 (義民太郎右衛門は、)成人して人望益々〇〇く、種々村のために尽力し、特に父祖三代に渉る世に言う太郎右衛門堰と山間三村に及ぶ水路を完成〇〇広い水田を開拓し農家の繁栄に貢献しました。

a0087378_7302531.jpg 特に案内はされないが、荒川を渡った「地蔵原堰堤」にあったこの取水口が、この「佐原堰」のものなのだろうと思う。

 先の整理で「『地蔵原堰堤』から『荒川発電所』に出て、その排水路沿いに散策道が整備されている」と表現したが、いくつかの間違いを犯していることに気づいた。
 その一つは、この「荒川発電所」を、初めの頃はここが「土湯発電所」だと勘違いしていたことがあった。
 二つ目は、整備された散策路沿いの水路を、発電所の排水路だとしている。その時点でも、これが「佐原堰」そのものということに気づいていなかったということだ。
a0087378_7325543.jpg 水路の勘違いの言い訳を先に済ます。
 その一つの言い訳が、荒川を渡った「地蔵原堰堤」にある。
 ここに「地蔵原堰堤」の左岸から水が流れ落ちるところが写っているが、いろいろ確認すると、これが佐原堰の取水とかかわっているのだろうと思われる。この直ぐ下の段が佐原堰の取水口と思う構造体になっているという位置関係。
a0087378_7373058.jpg もう一つの言い訳が、この発電所脇の風景だ。ここも発電所の排水路が佐原堰とつながっているように見えたことだ。ただ、ここでシャッターを押したのは、今も曖昧なままだが、水路の左側の風景が、この水路の取水口とかかわりそうな気もしていたからだ。
by shingen1948 | 2015-12-31 08:27 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)