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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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義民太郎右衛門霊堂

 水林公園から「地蔵原堰堤」へ向かって旧道沿いを散歩した後、定番通り「地蔵原堰堤」で荒川を渡った。こちら側は佐原村で荒井村の散歩から外れるが、こちらも整理しておきたい。

 「地蔵原堰堤」から「荒川発電所」に出ると、その排水路沿いに散策道が整備されている。その道筋を歩いていて、思い出したのが義民太郎右衛門氏については整理したが、義民太郎右衛門霊堂にはまだ立ち寄っていないこと。
 これを機会に立ち寄ってみることにした。
a0087378_621221.jpg 荒川左岸のこんもりとした丘の上に、義民太郎右衛門氏ご夫婦の墓と、義民霊堂がある。こちらは、その義民霊堂だ。この東側が荒川沿いの崖になっているのだが、そこに義民太郎右衛門250年祭供養塔の標柱が建ち、その脇に「義民太郎右衛門霊堂の誌」の案内碑が建つ。
 
義民太郎右衛門霊堂の誌
 太郎右衛門は、天和2年佐原村の内で名主の〇〇に生まれました。生まれつき大局聡明で、学問を好み、〇〇感の強い熱情の人でありました。成人して人望益々〇〇く、種々村のために尽力し、特に父祖三代に渉る世に言う太郎右衛門堰と山間三村に及ぶ水路を完成〇〇広い水田を開拓し農家の繁栄に貢献しました。
 たまたま享保の中頃当地方に大凶作が起き餓死人が出ました。当時この地域は幕府領であったので、大森代官支配下35箇村の代表者が協議の結果を義民が大挙して再三減税を請願したが、百姓は〇〇〇〇を混ぜて食え老人子供は死んでもよいと〇〇れと許されませんでした。
 万策尽きて福島藩に越訴したので代表者は厳罰に処せられました。〇情やる方なき太郎右衛門〇〇推挙されてひそかに江戸に上り目安箱に〇〇設し更に死を決して直訴しようと機会を〇〇〇たが、遂に捕らえられて送還され打首の刑になりました。そこに、義民終焉の地の碑が建てられ〇〇、明治になってから顕彰碑が建てられ義民〇〇も〇ましたが、昭和3年太郎右衛門に深く傾倒した〇〇当地の〇封家尾形千代作氏が、その墓のあるこの〇〇を寄付せられたので、太郎右衛門を深く敬慕する地域民が永遠にその徳を仰ぎ霊を慰めるため浄財〇〇〇と勤労の奉仕によりこの霊堂を創建しました。この度私達が客殿を寄進するに際し太郎右衛門の功績と霊堂の由来を刻したこの碑を建立し併せて寄進を太郎右衛門の霊に捧げるものであります

 昭和50年4月31日
 福島市佐原尾形工業〇〇〇〇〇〇〇
      尾形建設〇〇〇〇〇〇〇
 諸説ある場合に結構案内板の解説が最も確かさのある情報であることが多かったという散歩経験から、読み取れなかった部分を他の情報から補完してみたいと思う。
 地域の散歩クイズ的な楽しさかな。
by shingen1948 | 2015-12-26 08:52 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)