地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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荒井用水取水口

 今回の荒井村の散歩での大きな見え方の変化の一つが、石田川(荒川用水)の灌漑を意識したことだ。a0087378_7194817.jpg
 水林公園から「地蔵原堰堤」へ向かう途中に、その荒井堰取水口に出会っている。ただ、この散歩の時点では、荒井用水が灌漑する荒井地域を意識していない。四季の里を流れる奔流と水林自然林の中を佐倉堰の方に流れていくあたりをイメージしているだけだった。

 その水林自然林の散策の時には、荒井用水の流れよりは「かすみ提」の方に興味が向いていた。荒井用水の流れは、どちらかというと脇役だった。
a0087378_721154.jpg 水林公園から「地蔵原堰堤」へ向かうのに、人工的な堤防を歩いている時にも、気になっていたのは、荒井用水よりも東側の古い土手の堤防の方で、地蔵原の低地部分を荒川の氾濫から守る施設ということの方に意識は向いていたように思う。

a0087378_7221148.png 四季の里を流れるのが荒井用水の奔流だが、こちらの見え方も、水を取り込んだ公園ということで周りの施設への興味の方が強くて、荒井用水の流れそのものを意識していなかったかもしれない。
 それが、今回の荒井散歩の中で、この地域を潤す主役の川である石田川(荒川用水)を強く意識した。特に強く印象に残ったのは、「鷺」地域あたりの風景だ。ここで、川は大きく南に蛇行するのだが、そこから川石田灌漑地域が大きく広がる風景には強く印象付けられた。
 〇 土湯会津道を歩いてみる⑨~信夫の浦と信夫が原
 http://kazenoshin.exblog.jp/21872419/ 
 四季の里から流れ出た石田川(荒川用水)は、一直線にその「鷺」地域に向かい、荒井散歩とつながる。
 その後、梅後館辺りでは堀の役目も意識してみたりしたものだから、更に強く荒川用水)を意識するようになったように思う。
 土湯会津道を歩いてみる⑩~梅後
 http://kazenoshin.exblog.jp/21873905/
 その見え方が、それ以前に整理した「歴史地図」の次の解説とつながる。
 地名に、○○内とつくのは、中世以降に開拓、集落が形成されてきたところかと思われる(在家)。石田川(荒川用水)灌漑地域にあり、開田が可能なところである。
 その反対に用水路が引けない山麓には○○原という地名が多い。

by shingen1948 | 2015-12-25 08:30 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)