人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

地蔵原付近の主要な道筋

 震災当時、ずっと家にこもっていて息が詰まりそうだったので、家族を連れて四季の里に行き、思い切り深呼吸してほっとしたものだった。ただ、今思えば、その時の四季の里は放射線量が0.4μSv/hあったのでそれ程低いわけではなかった。しかし、当時明確な表示もなければ情報もなかったので漠然とではあるが、福島市西部は比較的放射線量が低いだろうと推定し、息が詰まりそうになるととりあえずこの辺りを中心に散歩していた。
 それで、「地蔵原堰堤」付近を散策したのはその頃だろうと思っていた。

 しかし、「地蔵原堰堤」付近の散策時の写真データを確認したらは、2011/2/24になっている。震災前のようだ。
 この時に歩いたのは、荒川資料室を出発し、水林公園から土手道を通って、「地蔵原堰堤」に行き、その上部まで散策した後、「地蔵原堰堤」の道で荒川を横断して佐原村に出て、そちらの散策をして家に戻るというコースだった。

 その「地蔵原堰堤」付近の散策と今回の荒井村の散歩と関連するのが、堰堤の前の道筋が昔の土湯街道との案内があったことだ。
 その時には、荒井村側の主要な道筋の経緯と道筋が明確に分かっていなかったので、道筋としてのイメージにまで広げることができなかった。それが、今回の荒井村散策を通して、地蔵原までの主要な道筋の変遷が確認できたので、その道筋とのつながりが当時よりは少し明確になったように思う。 今の段階でのイメージを整理しておく。

 今回も「荒川散策Map」の案内地図を使わせていただいて、地蔵原付近の主要な道筋を想像も交えて整理する。
a0087378_531431.jpg 赤い線の道筋の一つが、「地蔵原までの主要な道筋」で整理した現国道115号線のうち、明治39年開設当時に存在した道筋だ。明治45年に新たな道筋が加わるが、この辺りの道筋としてはほぼ変わりなく現国道115号線となったと思われる。それで「明治39年に開設現国道115号線」と表記した。
 「歴史地図」によれば、この道筋は当時ここ地蔵原までだったとあることを参考にした。この時点で当然「江戸時代の土湯街道」は、すでにあった道筋でこれも「江戸時代の土湯街道」として赤い線の道筋として示した。明治44年の改修では土湯街道としてはこの道筋が案内され、現115号線の道筋の赤い線の部分は、地蔵原までの道筋で案内されたらしいことは、先に荒井村役場前の道標の案内として整理した。
 水色で示した現国道115号線の地蔵原から先の道筋は、昭和4~7年にかけての開通とのことだ。確証はないが、この時点で現国道115号線の道筋が新たな土湯街道になったのだと思う。
 これらを考慮して、もう一つの赤い線で示した「昔の土湯街道」と案内される道筋とのつながりをイメージすれば、「江戸時代の土湯街道」との関係性が高いのだろうと想像した。それで、今回は、その部分を黄色い点線で示してみた。
 ただ、堰堤を造るための道筋であった可能性も考えれば、「明治39年に開設現国道115号線」とのつながりの可能性もなくはないとも思う。
by shingen1948 | 2015-12-21 08:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)