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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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叺内付近の散策~阿弥陀堂

a0087378_5243747.jpg この阿弥陀堂は、叺内の大カヤがある阿部家の屋敷から西に少し進んだところにある。「歴史地図」には、この「阿弥陀堂」と共に「中世の板碑」と「三十三観音石仏」がプロットされている。

a0087378_526452.jpg 本当はよく分かっていないのだが、その「中世の板碑」がこちらなのではないかと勝手に思っている。案内はないので想像するしかないのだが、何故か自信を持っている自分に驚く。
 この辺りの「中世の板碑」をいくつも見てくると勝手にこれかなという感じが自然に起こるだけなので、本当は曖昧。
a0087378_529934.jpg こちらが、「三十三観音石仏」なのだと思う。
 「歴史地図」では、「阿部家の先祖が、西国三十三観音札所から一握りずつの砂を持ち帰り、その上に村十三体の観音像を建立した」と解説される。
 このメモを見て、北沢又村の金福寺の独国和尚について「信夫の里の独国和尚」として整理したことを思い出した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/21247542/
 その「信夫の里の独国和尚④」で整理したように、金福寺地蔵堂の北側の石塔の風景が、和尚の教えとされる三十三観音の具現の風景との言い伝えであることを思い出したのだ。
 地蔵堂の北側に並ぶ石塔がそれだが、ここも特には案内されていなかったな。

 独国和尚が「差塩良々堂三十三観音」を形成するのに、「西国三十三観音を巡礼し、西国のご本尊と同じ形の石仏と十六羅漢を移して、西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めた」という事実がある。このことから、ここも「西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めた」との想像をしたところだった。
 信夫の里の狐達⑱~信夫の里の独国和尚④
 http://kazenoshin.exblog.jp/17473390
by shingen1948 | 2015-12-18 08:23 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)