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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八幡神社②

a0087378_413268.jpg これは、八幡神社境内の南側に東西に並ぶ石碑群を撮ったものだ。この左隅手前奥には「海外移民塔【大正6年(1917)】」が建っている。
 左隅に石祠が写りこんでいる。その次の石碑は、梵字が読めるのが特徴的だ。その隣に同じ程度の石碑があって、奥に目立つ大きな石碑が建っている。その大きな石碑の左側に木の陰になっているところに建つ石塔が金毘羅塔だ。
 確認するのは、これと「歴史地図」が紹介する「八幡神社」境内の石碑と見比べてみたいからだ。荒井下地区のページには、石碑の並びまで分かる丁寧なメモがあるのだ。
 そこでは、「海外移民塔」の隣に中世の板碑がプロットされる。そのメモに、嘉元4年(1.306)阿弥陀如来と記される。その隣に慶応2年(1866)金毘羅塔が記される。

 このことを対比させれば、梵字が読める石碑は、「歴史地図」で嘉元4年(1306)阿弥陀如来と記される中世の板碑なのだろうと思われる。
a0087378_4192686.jpg これが、嘉元4年(1306)阿弥陀如来と記される中世の板碑なら、昨日ふれた「信達二郡村誌」で、「初め石祠を建るは嘉元四丙午年(1306)三月なり」の根拠として紹介される「今社側に当時の石祠 1尺4寸4面古碑の左に在り 石碑 縦3尺3寸横1尺47分幅1尺分 石小祠の右に在り 嘉元4年(1306)3月を刻む 共に存せり」の石碑と同じなのではないかということになる。
 ということは、「初め石祠を建る」とあるのが石碑の左側の石祠なのだと思うのだが、どうだろうか。ただ、確からしさの解釈としては「福島市史資料叢書」がいう「『七々日 孝子敬白』とあり、板碑である」のだろうとは思う。そうは思うが、実際には刻まれる文字が自分には読み取れてはいない。
a0087378_427426.jpg 「歴史地図」の「八幡神社」境内にプロットされる石碑と現地の様子を見比べるために撮ったものだが、「海外移民塔【大正6年(1917)】」から梵字が読める石碑までの間の様子はこんな感じだ。

 
by shingen1948 | 2015-12-16 08:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)