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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地蔵原開拓の中心的役割を担った方のお住まい付近の散策(金剛内へ)

 現県道南福島―地蔵原線の道筋が国道115号線と交わる少し手前に、左手に入る道筋がある。この道筋を少し入ったところに地蔵原にかかわる石仏群が並ぶ。
 その案内板には地蔵原開拓が解説されるのだが、「加藤寿治翁」という方がその開拓の先駆者らしいことについては「土湯会津道を歩いてみる⑮」で整理した。
 「歴史地図」では、その開拓の先覚者「加藤森治翁」の生家が荒井金剛内にプロットされている。

 目標としてはその加藤寿治翁の生家をめざして、その付近を散策するのだが、生家特定自体にはこだわらなかった。
a0087378_5485391.png とりあえず、「歴史地図」がプロットする石碑など位置をこのあたりかなと見当をつけて地図にメモしておく。
 散策では、確実に分かっている荒井小学校を出発地点とし、地図にプロットする石碑を探して歩く中で、地蔵原開拓の先覚者加藤寿治生家(加藤計氏宅)付近の雰囲気を確認した。

a0087378_551112.jpg この「文政5年南無阿弥陀仏碑」は直ぐに確認できた。この碑は、こんもりとした竹藪の手前にあった。その雰囲気から、その竹藪が「歴史地図」にプロットされる旧墓地であることが分かるといった具合だ。
a0087378_5521040.jpg これは、次の大雷神と金毘羅碑の石柱をめざすのに、名号碑の南側を東西に走る道筋を撮ったつもりだった。この時には意識していなかったのだが、右手に写りこんでいる民家付近が「歴史地図」に「元役場や駐在所がこのあたり」とある付近であることを記す。というのは、「元役場や駐在所がこのあたり」ということを意識して撮った写真がなかったのだ。
a0087378_555426.jpg 先に進むと、この碑があった。これが金毘羅碑なのだと思う。雷神碑があるはずだと周りを見回したが、見つけられなかった。先に進んで、金剛内阿弥陀堂の右手に大雷神碑を見かけたのだが、こちらに移動されたのかなどと勝手に思い込んでいるが、よくは分からない。
a0087378_5571152.jpg その金剛内阿弥陀堂がこの写真では左手奥に写る。金剛内阿弥陀堂には実際に立ち寄ってその写真もあるのだが、この写真が地蔵原開拓先駆者の加藤寿治氏生家付近の雰囲気が分かるような気がする。
奥に建つ民家のうちのどれかが、加藤寿治氏生家なのだろうという程度で、今回の散歩は終える。

 「歴史地図」では、この道筋をずっと南下したところに明治初期の荒井村道路元標がプロットされていて、先にその地点は確認した。しかし、「信達二郡村誌」では、荒井村の道路元標は「字二合内」にあるとしている。また、大正9年官報でもその所在は「字二合内2」だとしてるようだ。
 もし、その情報通りなら、明治39年開通道路と役場前の道筋の交点付近なのではないかということで地図上にはプロットしておいたが、この確からしさは分からない。

 少なくとも、明治初年から荒井横断道路ができた頃までは、この金剛内付近が荒井村の中心地だったのかなという雰囲気は感じる。
by shingen1948 | 2015-12-14 08:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)