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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大竹地蔵堂に立ち寄る~土湯会津道~地蔵原までの主要な道筋の変遷③

 「土湯会津道~地蔵原までの主要な道筋の変遷」を確かめるのに、旧国道115号線が、荒井横断道路を越して県道南福島―地蔵原線に抜ける赤仁井田―目増線の道筋を中心にしたのは、この道筋をよく知らなかったからだ。その前提に、旧国道115号線や荒井横断道路などの道筋は結構歩いていてなじみ深いと思っていたところがあった。
a0087378_6204210.jpg しかし、この「大竹地蔵堂」に立ち寄ったことはなかった。
 正面に「大竹地蔵尊縁起」が掲げられる。

 大竹地蔵尊縁起
 約400年は昔二本松よりこの地に住みつきたる鈴木治右衛門なる若侍ありて農事にはげめり、たまたま子どもが悪病にかかり21日の間一心に全快を祈りたれば、白髪の老人夢枕に立ち、荒川に地蔵尊一体流れ着けりこれを祭れば悪病すぐなおるべしと言う治右衛門ひれ伏し感涙し、その仏像を持ち帰り祈れば子どもの病たちまち全快す、時は元和2年3月21日のことなりき、村人このご利益におどろき地蔵尊を借り出しては病を治したと言う、それより後は弟子尊体を借りれば息災延命善根功徳となり安産子育家内安全学業成就商売繁昌交通安全家門興隆なとその霊験実にあらたかなり、
 昭和54年4月吉辰
 第24世 夢外信道誌
 題材寄進 芳賀工務店 
 渡邉平次書
 足立敏一刻
 「地蔵尊一体流れ着けりこれを祭れば悪病すぐなおるべしと言う治右衛門ひれ伏し感涙し、その仏像を持ち帰り祈れば子どもの病たちまち全快す」というようなことについては、よく聞く話だったが、実際目にするのは初めてかもしれない。
a0087378_6232279.jpg このたくさん並ぶ地蔵さまは、「それより後は弟子尊体を借りれば息災延命善根功徳となり安産子育家内安全学業成就商売繁昌交通安全家門興隆などその霊験実にあらたかなり」の弟子尊体なのだと思う。
 安産祈願で石を持ち帰り、そのお礼にお手玉を奉納するという話はよく聞く。よくわからないのだが、この弟子尊体もそんな増え方なのかな。
 ここには解説されないが、「信達二郡村誌」では「本尊は行基菩薩のの刻む所と云伝ふ」とあるが、これもよくは分からない。

   ◇        ◇       ◇        ◇       ◇
 先に「福島の建築 ⑪」で、元の日本赤十字社福島県支部の場所に立つレンガ造りの建物について整理したことがある。その中で、日本赤十字社福島県支部創設が、磐梯山爆発による多数の死傷者を出す大惨事とかかわることにふれている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/9807554/
 この明治21年(1888年)7月の磐梯山噴火については何度か整理しているが、六角謙三氏も地元開業医としてかかわっているようだ。
 日本赤十字社から土肥淳朴氏、小山善氏、大森英郎氏が派遣されるまで、噴火当初から地元開業医として渡辺誠一郎氏、宇南山壽庵氏と共に頑張っていたようなのだ。この時の治療所の運営は49名が入院して12名が亡くなるという状況で困難を極めていたとのこと。この噴火での犠牲者は死者470名負傷者1000名という情報も見る。(ただ、死者はある程度把握しているが、負傷者は把握していないのではないかという情報もある)
 その後、福島病院から副院長の北村徐雲氏と医師石星清記氏、耶麻郡医桜井於兎吉氏が加わり、更に、東京帝国大学医学生芳賀栄次郎と三輪徳寛が自費で駆けつけたとのことだ。
 この中で、赤十字は平時救護で有名になり、東京帝国大学医学生は日本初の災害ボランティアで有名になるようだが、噴火当初から頑張った開業医の六角謙三氏の頑張りは、地道過ぎてニュース性はなかったようだ。
by shingen1948 | 2015-12-10 08:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)