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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯会津道を歩いてみる⑮~地蔵原

 この辺りから「地蔵原」の表示を見かけるようになって、地蔵原付近を歩いていることが確認できるということを整理したかったのだが、目についた和算家の石碑から脱線してしまった。
a0087378_520386.jpg まもなく現県道南福島―地蔵原線の道筋が国道115号線と交わるという近くまできて、左手に入る道筋があるのだが、その道筋を少し進んだところに、地蔵が原にかかわる石仏群が並ぶ。
 以下のように案内されるが、ところどころ読めなくなっている。
 地蔵原の石仏群
 かつてこの地は原野で、福島西在の<草刈り入会地>であった。ここには、地蔵原の地名を発祥を語る「地蔵菩薩(浮彫)」などの古い石仏群があるが、この「地蔵立像」は、明治初期の宗教改革で、横に三分割されていた。
 明治15年(1882)、荒井「開墾社」がこの原野を開拓したが、入会の他村から訴えられ    ○○○共同開拓が進められた。「地蔵立像」の碑文は、その経由を物語っている。(明治27年(1894)建)
 この開拓は、大正に至ってやっと成功した。荒井金剛内の「加藤森治翁」は当初から○○○の「顕彰碑」も建っている。(大正6年建)
地蔵講一同の努力もあって、例年盛大に祭り○○シンボルになっている。
 平成6年4月吉日建立
 西地区○○
 地蔵講○○
a0087378_524445.jpg
「地蔵原の地名の発祥を語る「地蔵菩薩(浮彫)」などの古い石仏群があるが、この「地蔵立像」は、明治初期の宗教改革で、横に三分割されていた」と解説されるのは、この地蔵様だと思われる。分割されたものをつないだ形跡がある。

a0087378_5255234.jpg 「『地蔵立像』の碑文は、その経由を物語っている。(明治27年(1894)建)」とあるお地蔵さまはこちらかと思われる。
 右側に明治〇7年3月8日が読め、その左側に「荒井村上鳥渡……」以下ところどころかすかに読み取れる部分がある。
 ここは、「歴史地図」にプロットされていないが、荒井「開墾社」が明治15年11月に創立され、明治21年開墾が136haであることのメモがある。刻まれているのは、その後の開拓のことだと思う。

a0087378_527152.jpg
 こちらが、「この開拓は、大正に至ってやっと成功した。荒井金剛内の「加藤森治翁」は当初から○○○の「顕彰碑」も建っている。(大正6年建)」とある顕彰碑なのだと思う。
 この方は、荒井金剛内「金剛内阿弥陀堂」の北側にお住まいだったようで、「歴史地図」では、地蔵原開拓の先覚者加藤森治生家(加藤計氏宅)がプロットされる。後日にその辺りも散歩してみたことについては、後で整理する。
by shingen1948 | 2015-12-05 08:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)