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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯会津道を歩いてみる⑭~和算家と学校を意識する

a0087378_5473232.jpg 散歩中、先に進んで目につくのがこの石碑群。「歴史地図」には「和算家阿部太七碑<明治31年(1904)>・文政12年(1829)から明治37年(1904)76才・忠鶴松算清信士・90名の門人名がある」とのメモが記される。
 家に戻って、写真から書かれていることを解読しようと試みるが、完全には読み取れない。ただ、おおよそこんなことかと読み取れたことに想像も加えて以下のように解釈できそう。
 この翁は荒井村の俗名「阿部俗長安称太七」という方で、数術を鈴木某に学んだあと、岳谷佐久間先生門でも数年学んでその奥を極めて、家に戻って余暇に村の子弟を教育した方ということのようだ。

 ここで、ちょっと脱線。
 半沢氏の「歴史地図」を見直すと、この辺りでは和算家の顕彰碑が多いようなのだ。
 「若狭内」地内では、荒井小校長格佐藤元竜氏が和算家・医師として紹介される。
 プロットされるのは、その墓、生家、資料所有者ということで、そのものを確認したわけではないが、若石集会所付近であるらしいことは分かる。
 この若石集会所に興味を持ったのは、この建物が元荒井小教室(南東部分)で、昭和7年野村阿部ミノ氏寄贈との情報があったからだ。「歴史地図」には、集会所の裏手にあった小林阿弥陀堂跡のご本尊がこの集会所に還座したとのメモも記される。
 ただ、確認したら、ここは現在は普通の建物で、その解説もない。a0087378_548460.jpg

 それで、散歩中、似たような案内を見たことをメモしておく。
 この若石集会所の1本西の道路沿いにある目増集会所を案内する説明だ。
 ここに、若石集会所移築から20年後の昭和27年に明治20年建築の旧荒井小学校玄関及び職員室を目増公民館として移築した経緯が説明されていた。
こちらも、建物自体は新しい。

 従来、町内各種会合は加藤小庄衛門氏宅を集会場として会議を進め、町内の親睦を期してきたるも 偶昭和27年旧荒井小学校(明治20年建築)の改築の議決まるに際し、町内会員は期せずして旧校舎の玄関及び職員室を目増公民館として分譲建築することに決定した。同年加藤彦蔵氏の所有地を借用 町会長梅津巳之助氏上鳥渡建士仲村末寿氏に工事請負委託4月解体引越完成を見るに至る その間町内会員は資金造成のため農協よりの借入金の他通称焼野への開拓道路工事人夫として働きまた米雑穀類の供出等に協力一致 その後老朽化が進みしため昭和50年5月屋根瓦葺替え等を行う 更に破損甚だしくなり会員より新築の気運昂まりここに会員新築の件を議決し加藤嘉文氏所有地を借り受け 県及び市より長期の融資助成金更に会員毎月の積立金等により総工費900万円にて町内建築士佐藤武夫氏工事請負により昭和61年3月竣工を見るに至る
 少額積立金での設立を祝して
         小さきも咲きてゆかしき野菊かな
 昭和62年12月吉日建立
 撰文並書 半澤武美
 石  工 鈴木清一
 感じるのは、学校も含めて、地域のコミュニティーの原点の雰囲気といったようなもの。
by shingen1948 | 2015-12-04 08:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)