人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

土湯会津道を歩いてみる⑫~愛宕原と地蔵原

 「歴史地図」では、現在整理中の「愛宕原」について別観点で紹介する。
 その一つが、愛宕原縄文世紀(~平安時代)とする解説だ。
 先日整理した愛宕山での掘建柱建物跡や永楽通宝の発見情報、それに荒井地区の館跡発掘情報などを重ねれば、より歴史の厚みを感じる情報だ。

 その二つ目の情報が、愛宕原の開拓話だ。
 後で地蔵原の開拓を整理したいと思っているのだが、それとかかわる情報だ。この開拓話は、陸上自衛隊が創設される昭和28年11月までの間の情報。
 愛宕原は元官有地(国有地)だったが、払い下げを受けて、明治25年5月より、荒井鳥川吉井田村が共同開拓。およそ8haの桑畑をつくる。
 「信達二郡村誌」がいう「元標の西南28町に在り東西6町 南北1町20間 面積未だ実測を経す 官有に属す西南二方は入会山に接す 樹木を生せすタダ○株を生す」と解説される土地の共同開拓の話だ。

 三つ目の情報は、荒井小学校のかかわり。
 明治22年の荒井小学校第一回の運動会はこの「愛宕原」で開かれたとのことだ。「信達二郡村誌」によれば、荒井小学校は白山寺に仮教場として創設されているはずで、その時代の運動会ということでいいのかな?
 共立小学校
 中部寺屋敷白山寺本堂を以て仮教場とす 男生徒93人 女生徒7人 明治9年1月1日調べ
a0087378_16395549.jpg この辺りまでの土湯会津道を歩いての風景の変化としては、左手の自衛隊の施設の隣に、県警察機動隊ヘリポートの施設があり、これを過ぎると右手に消防施設が見えてくるということだ。
 今までの散歩整理で、「原宿」地区の南側にかけての原が愛宕原で、「鷺」地域から西側にかけて、多少の緩衝地帯があって「地蔵原」が広がる地域というイメージを重ねれば、消防施設が見えてくる辺りから西側が「地蔵原」の広がりとみてよいのかな。
by shingen1948 | 2015-12-02 08:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)