地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯会津道を歩いてみる⑩~梅後

 「原宿」地区から「鷺」地域まで川石川(荒川用水)を意識して歩いてみると、インパクトの強い風景が、うめご保育園付近の風景だ。
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 先の「如意輪観音堂」の解説に、「昔者古内主膳正なる者 本村古内の城 西部梅後 に居る時 子無くして此仏に祈り1女子を生む 故に堂を造り仏徳を賽すと云ふ」とあったこととかかわる風景でもあるようだ。
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 半沢氏の「歴史地図」には、「梅子館 梅子の清水 うめご保育園」がプロットされるが、その事ともとかかわるのだろうと思われる。
 このうめご保育園の北側を流れる川石川(荒川用水)に濠のイメージを重ねてしまうのだが、「信達二郡村誌」では「濠は埋りたれも水少しく滞溜す」とするので、明らかに違う。

a0087378_17215067.jpg 「歴史地図」では、梅子館はうめご保育園の東側にプロットされている。
 それで、散歩中は、この橋辺りがその館の北西隅のイメージで眺めているが、定かではない。
 その「梅子館」は、「信達二郡村誌」に「古内舘」とある古跡とも重なるのだと思う。この館は「荒井村古跡」では、次のように紹介される。
 「古内舘」
 西部梅後に在り 古内主膳正居る所なり 西北に門の故跡有り 東西に壊塁少しく存す 濠は埋りたれも水少しく滞溜す 此の近傍牛沢と称する地も又古館址有り 何人の居しや考ふ可からす 
 主膳正は 伊達輝宗親子に降参し 伊達郡藤田駅の傍なる山崎の館に移り 後岩沼 今の陸前国名取郡の館に移住す 伝言ふ 主膳正一女有り 梅子といふ 此の館を去る時梅子を留め 近傍に農民7戸有りたるに託して山崎に移る 後梅子夭死す 葬りて石の祠を建て之を12御前と称す 7戸の者の子孫皆転居して今は1戸も本村に居る者無し 姫の名を以て土地の字とし 文字を易へて梅後とす 今存する石祠の地主は7戸の者の子孫に非すと村人いふ

by shingen1948 | 2015-11-30 08:17 | Comments(0)