地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯会津道を歩いてみる⑨~信夫の浦と信夫が原

 「信達二郡村誌」によれば、「信夫の山」は信夫山だが、「信夫の浦」はこの原宿辺りで、「信夫か原」が自衛隊敷地内「愛宕原」だとのことだ。
 この原宿辺りが「信夫の浦」とのイメージでこの辺りを散策し直せば、いつか気になりだすのが、この地域を潤す主役の川である石田川(荒川用水)だ。この川が「原宿」地区の特色を整理するのに欠かせないと思えてくるのだ。
 半沢氏の「歴史地図」の荒井中央区区域のメモに、次の解説がある。
地名に、○○内とつくのは、中世以降に開拓、集落が形成されてきたところかと思われる(在家)。川石田灌漑地域にあり、開田が可能なところである。
 その反対に用水路が引けない山麓には○○原という地名が多い。

 「荒井中央地区」と「荒井下地区」のおおよそは、その川石田灌漑地域であることが分かる。用水路が引けない山麓というのが、「荒井上地区」のおおよそ南東部分ということのようだ。

 この辺りの川石田川は、地形のかかわりで高地の縁を流れている。散策では、それを追うのだが、この先の「鷺」地域で大きく南に蛇行する。そこから川石田灌漑地域が大きく広がるようになるのだ。
 この辺りが、その「鷺」地域あたりだろうと思う。「歴史地図」では、この「鷺」地域について次のようなメモを記す。a0087378_332695.jpg
 「鷺」は崎。
 崎ははんらんする土地の先端につき出た河川段丘上の土地で、人が住むのにはつごうがよい。
 散策の中で、この辺りだろうと確信を持つことができるのは、旧街道の「鷺」バス停だ。
 ここから東側のおおよその地域は川石田灌漑地域となる。半沢氏がいう「内」の地域だ。この蛇行した流れの右側(南側)は高地で、この川での灌漑はできない地域になる。半沢氏がいう「原」の地域だ。
a0087378_385939.jpg 「原宿」地区付近を、その川石田灌漑地域の「内」と「原」の境界を意識しながら眺めると、こんな風景が見えてくる。「原宿」地区は、川石田川の河岸段丘上でもあるという風景だ。「信達二郡村誌」がいう「信夫の浦」の風景を意識した眺めということでもある。

 再掲すれば、「古人題詠する所の信夫の原は原宿なりといふ 高敞にして最眺望に宜し」とある「高敞にして最眺望に宜し」風景という実感が伴う。
 ここを会津街道とのかかわりで眺めれば、先に整理したように馬のつなぎ場の宿となっていたということでもある。
by shingen1948 | 2015-11-29 08:58 | Comments(0)