地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯会津道を歩いてみる⑤

 「土湯会津道を歩いてみる」ということで、朝日舘辺りから、現県道南福島―地蔵原線の道筋に沿って歩いている。
 何度か散策したことで分かったことについても一緒に整理しているのが、歩き始めた頃には、「小堀内」バス停近くの蔵のある風景と立派な神社に出会うまでの風景に、それほど強い印象を持たなかった。
a0087378_2221051.jpg 先に記したようにバス停を目印に、淡々と風景を刻んでいくという感じで歩いている。そうすると、結構気になるのが停留所名だ。
 この辺りでは、バス停名「十三仏」がいわくありげだなと思いながら歩いている。風景が気になった蔵のある風景と立派な神社の近くのバス停は「小堀内」だが、その一つ先のバス停名も「若仏」だ。その前の貯水池には、地区名「石仏」が表示される。
a0087378_2231659.jpg この「石仏」地区の会津道沿いに石仏が並んでいる風景は、どこにでもあるごく普通の風景だ。ただ、「十三仏」・「若仏」・「石仏」といわくありげな停留所や地区名が並んでいることが頭にあって出会っているので、強い印象を持ったということも記しておく。

 ここに、昨日整理した原と内のイメージを重ねる。確認を重ねた後での気づきの部分だ。
 蔵のある風景と立派な神社に出会う「小堀内」バス停までは、土湯会津道と区画整理計画による道路との間に、内と原の境界的な緩衝地域になっている。半沢氏の「歴史地図」では、この地域に多くの遺跡がプロットされている。
 現在、確認するのに頼りのマホロンの遺跡分布地図は現在停止中。それで、そこに記されたことをそのまま鵜呑みにして記す。
 中沢遺跡(縄文~土師器)・小沢南遺跡(弥生~土師器)・小堀内東遺跡(縄文~須恵器)・八幡内遺跡(縄文~土師器)・南谷地田遺跡(縄文~弥生~石器)小沢遺跡(縄文~土師器→凹石出土)等、縄文・弥生・平安あたりの遺跡跡がプロットされる。

 その遺跡群の間に「小田谷館跡」という館跡の遺跡もプロットされる。現在は畑、周りを田が囲んでいるとの解説メモがある。「北朝側についた荒井域の方とか、または、上杉家臣島津玄藩の館か?」のメモも、……。
 おおよそこの辺りかなと思う処はあるのだが、まだ確信が持てていない状況だ。

 更に、島津玄藩開基とされる「真光寺」跡がプロットされる。天保の飢饉の後、廃寺になったとのメモも記される。

 確認が難しいのは、区画整理によって風景が一変していることに加え、頼りのマホロンの遺跡分布地図も現在停止中で確認できないこともある。歩き始めの頃にこの辺りで思ったのは、「歴史地図」が描く道筋と現況の道筋の関係をはっきりさせていきたいなということだった。
by shingen1948 | 2015-11-25 08:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)