人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

土湯会津道を歩いてみる②

 昨日は、前方に右手に大笹生方面を案内する道路標識が写る写真を「土湯会津道を歩いてみる」スタートの写真とした。
a0087378_3414487.jpg 大畑のバス停とその右手に大笹生方面へ向かう道筋の交差点との間の道路右手に、「明治25年開校 鳥川小学校発祥地」の標識が建っている。
 村の学校を案内する手持ち資料は、「信達二郡村誌」の上鳥渡村の項の共立小学校紹介部分。
「中部藤南に在り男生徒54人、女生徒47人」とあり、これが、明治9年1月1日調べであるとする。
 その小字中部「藤南」については、「中部地蔵前 山之下西の東猪田の西に在り 東は小逕(こみち)を以て界とし 西は田埒を以て界とし 南は尾形川を界とし 北は会津道を界とす 東西1町18間2尺 南北1町33間4尺 小学校を置く」とある。
 「福島の小字」と見比べると、現小字「山ノ下西」の西側道路際に小字「地蔵前」があったようだ。これを頭に入れて現在の小字名を確認すると、小字「東猪田」は確認できないが、おおよそ現在の小字名と一致しているようだ。
 「北は会津道を界とす」とあるように、小字中部「藤南」は会津道の南側らしい。尾形川は、愛宕山の下を流れる川だと思う。ここで案内される小学校は会津道の南側だ。
 内容的にも気になるのは、その開校についての情報だ。
 「信達二郡村誌」では、明治9年1月1日調べで上鳥渡村の共立小学校は存在しているのだが、案内標識では明治25年開校となっている。

 それで、鳥川村を確認する(ウィキペディア)と、明治22年(1889)に、大森村・永井村・上鳥渡村・下鳥渡村・成川村が合併して信夫郡大森村が発足するが、この時点ではまだ鳥川村ではない。
 明治25年(1892)7月に、この大森村からその一部である上鳥渡・下鳥渡・成川が分立して鳥川村が発足するようなのだ。ただ、昭和30年(1955)3月には、この 鳥川村は大森村・平田村と合併して信夫村が発足して、消滅する。なお、昭和40年(1965)6月には、その信夫村は松川町とともに福島市に編入されるという変遷をたどる。

 これらの情報を合わせると、次のような変遷かと想像するが、どうだろうか。
 「信達二郡村誌」の上鳥渡村の項で紹介される明治9年開校の上鳥渡村共立小学校は、会津道の南の小字「藤南」にあった。
 明治25年開校と案内される小学校は、大森村から上鳥渡・下鳥渡・成川が分立して鳥川村が発足した時点で成立した小学校で、これが会津道の北の小字でいえば藤之内にできたということなのだろうと想像するが、どうだろうか。
 なお、これは先に整理したことだが、下鳥渡村との合併で鳥川村になったはずなので、その下鳥渡村の小学校を確認すると、その小字「北島」について、以下のような紹介がなされていた。再掲する。
 「北島 西部南島の北沙子田の東に連る 東は溝渠村道を以て中部地蔵堂 北島東に界し 南は畛(あぜ)畷(なわて)圳(しん)邃(これにさんずいがつく)を以て南島に界し 西北は畛畷溝洫(みぞ)を以て沙子田人家6戸 沙子田北に界す 東西125間
 南北55間 人家8戸村社鎮座小学校を設く」
 先の整理では、この「社鎮座 小学校を設く」から、神明社の隣の建物がそれかなと勝手な想像をしたところだった。
by shingen1948 | 2015-11-22 08:39 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)