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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~「右ハ慈父のため也(正嘉2年1528)」の板碑を探す

 鳥渡山王社付近散歩の振り返り「その2」では、この地域の信仰にかかわることについて整理してきた。そのうちの「庶民が感じた仏教」とでもいう側面にかかわって、心残りなことがある。それは、半沢氏の「歴史地図」に記される正嘉2年1528建立の「右ハ慈父のため也」の板碑が見つけられなかったということだ。
 有名な「来迎三尊供養塔」の板碑は、「右ハ慈母のため也(正嘉2年1528)」であるのに対して、こちらは「右ハ慈父のため也」の同じ年の板碑であるということの興味だ。
a0087378_5572762.jpg 「右ハ慈父のため也(正嘉2年1528)」の板碑を探すために確認が必要な地点の一つが、下鳥渡の神明社だ。それが、ここだと思う。「信達二郡村誌」には、「村社神明社」が西部北島田畝の間に鎮座すと紹介される。その「村社神明社」が、半沢氏の「歴史地図」に記される下鳥渡の神明社のことなのだと思う。
 「信達二郡村誌」では、なぜか項を起こして下鳥渡村の小学校を紹介はしない。ただ、「沙子田北」の字地についての説明に「人家8戸村社鎮座小学校を設く」との解説は見える。
 その解説を頭において周りを見渡せば、この神社西側の下鳥渡集会所は、何となく昔懐かしい学校風の建物のようにも見える。
 下鳥渡の小学校の痕跡とかかわるのかなと勝手な想像をする。本当はよくは分からない。

 「歴史地図」では、下鳥渡の神明社と林照院跡の間に、この板碑の建つ位置がプロットされている。a0087378_604541.jpg
 周りを見回せば、その集会所の南西方向に仏教にかかわりそうな石碑群が並び、お堂も建っている。近くに「林照院跡」の標柱も建つ。
 今のところ、この「林照院」がどういう寺なのかという解説をみつけないが、位置は分かったということだ。
 正嘉2年1528の「右ハ慈父のため也」の板碑が、この近くにあるようだということまではわかったが、今回はそこまでだった。近くの墓地も見てみたが、それらしいものは見つからなかった。

 なお、「信達二郡村誌」には、「林照院」の解説はないのだが、近くの「政善寺跡」についは北部中川原にあり福島町真宗康善寺末派なりとの解説を見る。こちらの寺は、「後、衰微せしを寛延2年に僧鳳山之を中興す」そうだが、実際の寺は見当たらない。半沢氏の「歴史地図」では、河岸段丘付近にプロットされる。
 この散歩を通して見えた風景の中で感じていたのは、いわゆる「修験道廃止令」で、民間信仰のなかにいろいろな形で勢力を持っていた修験道や山岳信仰を廃止する一連の流れの中で、消された寺々の雰囲気とつながるものだったのかなと、勝手な想像をしている。
by shingen1948 | 2015-11-03 08:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)