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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近散歩の振り返り「その2」~地方の仏教文化に独自性が派生する素地②

 湖山寺跡地を訪ねて散歩したことについては、「鳥渡山王社付近の風景~陽泉寺③」で整理した。位置的な曖昧さを残したままだが、半沢氏の「歴史地図」には、その寺跡の南東方向の山裾に「石子薬師」がプロットされる。これが、その薬師様だと思う。
a0087378_6275750.jpg 「歴史地図」には、ここにかかわるメモは特にない。「信達二郡村誌」等を確かめても、今のところその紹介を見ない。ただ、また聞きの段階だが、「福島市史」では、この薬師にまつわる次のような信仰伝説が紹介されるという。

 昔、清原元輔という方が都から下鳥渡の田中にきて住みついた。この方が、薬師の像を作ったのだとか。この薬師像が、後年、字石橋の地に移されたのだとか。
 この清原元輔という方の歌に、「契りなきかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」というのがあるが、これは、この近くの山を詠んだものなのだとか。
 この近くにあって、今は廃寺になった「湖山寺」の山号は、この歌からとって「末松山」と称したと伝えられているとも。

 この薬師については、信仰伝説でしかないのだが、昨日整理の「釈迦如来坐像」仏師の話は、史実として、ここ下鳥渡に都から来た方が仏像を作られたことがあったということでもある。それで、仏師乗円について確認しておく。
 「ふくしまの歴史」では、湖山禅寺のご本尊「釈迦如来坐像」の仏師乗円が、福島県内に数体の仏像を残していることが紹介されている。その師の円勝は、別名道円ともいい、この方も県内に遺品を残しているという。南北朝の争乱で倒れた人々を弔うために各地の領主によって招かれたそうで、東国に土着した円派(慶派、院派とともに定朝の系譜を引く仏師のグループ)の仏師と考えられるのとのことだ。
 中通りの乗円作の仏像は、他に二本松善性寺に1体、古殿西光寺に2体が残されているとのこと。会津にも1体の仏像があり、福島では計5体の仏像とのことだ。乗円の師道円作の仏像も、会津に1体あるという。
 乗円の福島での造像活動期間を確認すると、少なくとも延文2年(1357)陽泉寺釈迦如来坐像に始まり、応安7年(1374)古殿西光寺の地蔵菩薩坐像に痕跡が残るということになるようだ。ということは、乗円は、少なくとも18年以上福島中通りで造像活動をしていたということになるということのようだ。
Commented by 玉井人ひろた at 2015-11-02 21:15 x
我が村「大玉村」にも文化財になっている薬師如来座像が相応寺と言うお寺にあるのですが、仏師はだれだったのかは判っていないようです。
Commented by shingen1948 at 2015-11-03 09:37
一度だけ拝ませていただいたことがありました。当時、当方に仏像のよさを感じる力が弱かったのが残念だったという思いがあります。
散歩の感覚では、相応寺は会津仏教とのかかわりの強い寺、具体的には支配者とのかかわりではなく、慧日寺とかかわり深い寺という感覚でしょうか。そのかかわりでおいでになられた仏師なら、もっと古い時代なのかもしれませんね。
今回の記事の仏像の特定は仏像内の墨書が多いようですね。
by shingen1948 | 2015-11-02 08:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)