地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近散歩の振り返り「その2」~地方の仏教文化に独自性が派生する素地

 前回は、今回の散歩で感じた「庶民が感じた仏教」とでもいう側面について整理したが、今回は「信夫の里の仏教文化の独自性」といったことを感じたことについて整理したい。

 この少し前の時代、全国に影響を及ぼす力のあった支配勢力は、仏教文化を支配権力強化の一手段として広めるという側面があったのだとか。
 これは、信夫の里からの視点だけでは捉えることができないのだが、信夫の里でも、その影響を受けてはいるはずだということだ。
 先の整理を、その影響下という視点で眺め直してみる。
 この地域に残る板碑や仏像は、その影響下で、この地方の人々の仏教なるものを自分たちなりに受けとめて発展させた姿であり、その素材の地域化ということでもあるのではないかということだ。
 前回整理した「庶民が感じた仏教」も、この地方の人々が仏教なるものを素直に受け止め、純粋に発展させてきたものととらえられよう。
 この地方の支配者は、この中央の支配勢力の支配と同じ方策で展開していたということもあったのではないかとも思う。これが、全国的な展開傾向ということだ。
 地方から見れば、中央から解き放たれるチャンスであり、独自性と結びつきやすい環境下だったと見てもよさそうだと思うのだ。
 「陽泉寺②」で整理した「釈迦如来坐像」について、その見方で眺めてみる。
 「釈迦如来坐像」は、大日本奥州湖山禅寺の御本尊像であり、この寺は、二階堂民部大輔時世が開基で大同結禅師であり、その中で、この「釈迦如来坐像」の事初めは延文2年(1357)7月18日で、仏師は法眼円勝と法教乗円で、應安4年(1371)6月8日に造立されたについてふれた。

 ここに登場する二階堂氏は、中央からこの地域の支配者として送り込まれた方だ。
 この方が湖山禅寺を開基するのは、仏教を心のよりどころとしていることでもあるだろうが、この仏教文化を支配権力強化の一手段として広めるという側面もあったのではないかという見方を加えて眺めたいということだ。
 これが、全国的な動きなら、ご本尊を据えるための仏師不足の中で、優秀な仏師を引き抜くことは、権威づけの一つでもあったろうとも思う。そういった背景のもと、二階堂氏は「ご本尊様を据えるのに、中央の仏師と思われる円勝と乗円(円勝が師で乗円が弟子か)を迎えた」ということだ。
by shingen1948 | 2015-11-01 09:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)