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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近散歩の振り返り「その2」~「庶民が感じた仏教」とでもいう側面

 今回の鳥渡地区の散歩で、何となく捉えたような気分になっている事がもう一つある。勝手に名づければ、「庶民が感じた仏教」とでもいう側面と「信夫の里の仏教文化の独自性」という側面だ。
 まずは、その「庶民が感じた仏教」とでもいう側面を整理する。

 この地区は、寺や供養塔群が多いことから「庶民が感じた仏教」を感じたということもある。しかし、今回の散歩で強い衝撃を受けたのは、供養塔に刻まれている事柄が明確に提示されたということだ。
 供養塔群は、他所でもたくさん見ている。しかし、その時には、史跡として客観視してしまっていて、その祈りまでは見えていなかった。
 それが、今回の散歩では、近親者の死に対して、来世での救いを求めようとする具体的な表現を、当時の状況に近い生々しい状態で目にしたのだ。それが「下鳥渡供養石塔」に接したときの衝撃だ。
これによって、感性的に、今まで見てきた供養塔群や近隣の供養塔も同じ思いのようなものが込められていたんだという納得感が迫ってきたというような感じだ。これは、理屈ではない。

 自分の感受性の方も、その衝撃を受け入れやすい環境にあった。
 今回の震災では、東北に住む誰しもが死生観を意識したように思う。この大きな災害を経験した者は、人としての現在のあるべき姿を強く意識したのだと思う。
 この感性で、この時代のこの地域の背景を「この地は南北町の争いで日毎に勢力が変動する動乱のちまたであった。人々が現生をのがれ、来世に救いを求めたのは当然だったのかもしれない」とする半沢氏の見方を眺めると、この「日毎に勢力が変動する動乱のちまた」感に納得してしまう。
 
 この時代の、この地域の人々にとっては、戦う者の生死と共に、その戦いの混乱に巻き込まれる事を通しての死生観を意識していたという背景があったのではないかと思う。その中で、具体的な家族の死と向かいあった時、供養という仏教と結びついた対処を行った痕跡が、遺跡としての供養塔なのではないかと思うのだ。
 今回の散歩では、その供養塔が持つ真の思いを何となく捉えたような気分になっているということだ。
by shingen1948 | 2015-10-30 07:44 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)