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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近散歩の振り返り

 鳥渡山王社付近散歩についての整理中に、パソコンが故障してしまって、間が空いてしまった。この散歩で感じたことを振り返って、その隙間を埋めてから再出発しようかなと思う。

 今回の散歩を振り返って、今までの見方と変わっていたことの一つが、二階堂氏の影を感じたいという意識だと思う。
 「信夫の里」の散歩資料の多くは、旧福島市とその周辺の地域というとらえ方で構成されている。それは、現福島市域が信夫の里域とのおおよそ重なるということからなのだろうと思う。
 「福島県の歴史散歩(福島県高等学校社会科研究会)」では、次のような紹介になっている。
 県都福島市は、かつての信夫郡をすっぽり包んでしまった。信夫郡は、吾妻連峰と阿武隈川に挟まれた地域で、古くは信夫国造が配置され、平安時代には信夫庄とよばれ、平泉圏に属したが、1189(文治5)年以降しだいに関東文化の影響下に入った。室町時代に伊達氏の支配を受け」と続いて、近世の複雑な支配関係が紹介される。
 「1189(文治5)年以降しだいに関東文化の影響下に入った」と紹介される部分は、この地では二階堂氏の影とかかわるはずだと思うのだが、紹介文では、二階堂氏については触れないで、室町時代に支配を受けた伊達氏と結び付けた紹介になっている。
 確かに、伊達氏も「関東文化の影響」とかかわるのではあるが、頼朝の東北侵略の189(文治5)年と室町時代に伊達氏の支配を受ける間には、ここ信夫の里では、二階堂氏の支配を受けたていた期間があるはずなのだ。
 「ふくしまの歴史ダイジェスト版」では、その伊達氏の資料である「伊達氏段銭帳」を元にして伊達氏が信夫の里を支配した時代について概観するが、その伊達氏支配前の様子との関連性について解説する中に二階堂氏も登場する。
 まず、伊達氏の支配時代の信夫の里だが、信夫庄には72の郷村があって、それを「北郷」「名倉方」「大仏方」「御判の方」の4つに分けていたとのことが紹介される。
 次に、この4つに分けられた地域に関連付けて伊達氏支配前の様子が紹介される。
 〇 「北郷」地域は、摺上川と松川の間の信夫庄の北部の村々とのことで、鎌倉時代は、ここが信夫佐藤氏の所領なのだとか。
 〇 「大仏方」地域は、中部から東部にわたる村々とのことで、もともとは杉妻大仏の寺領だったところなのだとか。
 〇 今回の散歩とかかわる「名倉方」地域は、現上名倉・下名倉と西部の村々だが、ここが、もと二階堂名倉氏の所領だったところとの紹介なのだ。
 なお、「御判の方」は、15~16世紀にかけて伊達氏が交通の要地を押さえた領地と推測されているようで、各所に分散しているとのことだ。
by shingen1948 | 2015-10-23 17:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)