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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~権兵衛屋敷周辺

 半沢氏の「歴史地図」を元に桜館址へ向かうのに、二階堂屋敷前から荒川用水(荒井堰・すかわ)とする用水筋を追って、その分岐点付近ということでの確認をした。
a0087378_2214747.jpg 二階堂屋敷がプロットされるのはこの門のあるお宅の辺りだ。この辺りも除染作業中。別ページでは、「もとの大地主権兵衛屋敷」と記され、屋敷前の南北に走る道筋を「権兵衛街道」と表現している。

 半沢氏の「歴史地図」では、「もとの大地主叺内阿部屋敷」と共に「もとの大地主権兵衛屋敷」ということでのプロットがなされている。それで、ここが地元の大地主様のお屋敷であることは分かるのだが、気になるのは、その姓が二階堂であることだ。
 寧ろ、そちらの興味が強い。
 というのは、伊達氏とのかかわりの中で影が薄くなっていったとはいえ、奥州征伐後、この信夫鳥和田には鎌倉幕府評定衆二階堂氏の一族庶子が派遣されていたはずで、その方とのかかわりがあるものやらないものやら。
 しかし、半沢氏は、そのことについてはふれていない。
a0087378_2232311.jpg 二階堂屋敷と二階堂墓地の間を走る道筋が旧会津街道で、この写真は、その権兵衛屋敷」街道から「権兵衛屋敷」の方向を見ている。右手の道筋は半沢氏が言う「権兵衛街道」なのだと思う。

 観音寺から西に進んだ会津道の道筋は、この旧会津街道とつながるはずなのだが、南北に走る山王社につながる道筋とこの「権兵衛街道」の間の道筋が曖昧だ。
 この山王社につながる道筋や「権兵衛街道」が、そのジョイントの役割を果たしていたのかもしれないとも思うが、それもはっきりしない。
by shingen1948 | 2015-09-04 09:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)