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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~「毘沙門堂」跡④

 「桜館」の位置を確かめるのに、半沢氏の「歴史地図」で確認しようとしたら、「毘沙門堂」跡近くに、プロットされる石塔がもっとあるのに気がついた。
 最近、曖昧だったことも整理しておくことにすることが多くなったが、これもその一つだ。
a0087378_1521780.jpg 半沢氏の「歴史地図」には、庚申道標の北側に、毘沙門堂いわれの碑がプロットされる。それが、多分これだと思うのだがどうだろう。
 情報に、「有伝」が読め、その左の行から毘沙門堂の建立年代と移動関係が何となく記されているように見えるのだがどうだろう。半沢氏のメモには文政3年建立とあるのだが、その建立年代が記されそうなあたりには「三辰」が読めているようにも思うが曖昧だ。
なお、「毘沙門堂跡」の庚申道標は、明治元年建立とのことだ。
a0087378_15223371.jpg 文化13年建立の「右ハ山王道」「左ハ八丁目道」は、見当たらないのは変わりないのだが、とりあえず「毘沙門堂跡」の東側の石塔群を掲げておくことにする。
道標は、この中のどれかかもしれないし、ここにはないのかもしれないという曖昧さは変わらない。

 案内内容についてだが、多分「右ハ山王道」は福島からの山王道のことで、大森から米沢道に重なり、観音寺から会津道に分岐する道筋を指しているのだと思う。
 ちょっと分らないのが「左ハ八丁目道」の方だ。
 大森の三叉路から荒井経由の会津道を指し、荒井から水原経由の道筋を指すものか、平田村からの山王道経由で米沢道に抜ける道筋を案内しているものなのかがはっきりしない。
by shingen1948 | 2015-09-01 15:23 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)