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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~2011年11月22日の朝日舘周辺の様子

 朝日舘は、二階堂氏居城の舘候補地の一つだが、もう一つの候補地が名倉城だ。この事については、先に発掘調査資料の読み取りをもとに「名倉城②」として整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8155926/
 「二階堂氏と朝日舘」の中でふれるべきだったなと思うので、「 鳥渡山王社付近の風景~二階堂氏と朝日舘③」の最後に付け加えた。
 朝日舘の記に「応永20年二階堂信夫常陸介が伊達持宗と戦ったあと信夫郡は伊達氏の支配になり朝日舘の消息は歴史に埋もれてしまった」とある事と関連する整理でもある。
    ◇    ◇       ◇        ◇       ◇        ◇
 震災後の2011年11月22日の散策は、陽泉寺辺りから「下鳥渡供養塔」に立ち寄って、それから陽泉寺の脇の道筋で朝日舘に登ってきた。
a0087378_54250100.jpg この時、朝日舘の水道施設には重機が入っていて、改修工事中だったが、震災がかかわっていたのかどうかは分からない。

a0087378_5435012.jpg これは、その日の陽泉寺の様子。はっきりしないが足場が組んであるのは、震災に関わる修理だったのだろうと思う。

a0087378_5452342.jpg これは、その日の「下鳥渡供養塔」の北側の陽泉寺の墓碑だと思うが、幾つかの墓碑が倒れていた。

a0087378_5462655.jpg これは、その日の「下鳥渡供養塔」の覆屋の様子だが、瓦が飛んでいて、その脇の石塔も倒れていた。ただ、供養塔碑自体は無事だった。その供養塔碑は「朝日舘の記」に次のように紹介されていたものだ。
 朝日舘の東麓には正嘉2年9月亡母のために造立された国史跡の下鳥渡供養塔があり当時の浄土信仰を物語る阿弥陀三尊仏の浮彫りも見事なもので地域に残る鎌倉文化を伝えるもの貴重である周辺にはこうした供養塔も多く朝日舘を中心とした宗教文化圏と推測される。

a0087378_5473680.jpg 供養塔碑から南側に抜ける道筋の大きな木も倒れていた。

 確認される写真からは、地震による被害しか読み取れない。しかし、この震災被害は地震だけではなかった。東京の電力会社の原発事故で、福島市内は安心して外に出られない状態になっていた。部屋に籠り続けて苛立ちのようなものが鬱積していた。
 大森より西側では比較的放射線量が低いらしいという情報があって、それを信じて外出したということがあって、その散歩で、地震による被害も確認したということだ。
 この時の気分が、今よりももっと東京消費文化に強い反感を持っていたことを思い出していることも記録しておく。
by shingen1948 | 2015-07-24 06:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)