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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~二階堂氏と朝日舘②

 朝日舘を鳥和田に派遣され二階堂氏の居城した舘候補地の一つとして整理したが、ライオンズクラブの案内板では、それ以前の佐藤一族である信夫小太郎の舘として案内される。
 <史跡> 朝日舘
 ここは福島盆地を北方に見下せる要害の地、三方に急な崖があって古い型の特色をもっている場所である。朝日舘という名の由来を明かす資料はなく、ただ信夫小太郎という飯坂大鳥城主佐藤基治一族の子孫がここを守っていたと伝えている。ここの平地は出丸の一部と思われるから後ろの高地一帯も「とりで」として使われたのであろう。
 文治5年(1189)の石那坂の戦で、源頼朝に滅ぼされた大鳥城の佐藤一族が戦いの後も信夫・伊達の各地に残されていたことを伝える場所ともなっている。
 ディスカバー・マイカントリー福島信夫ライオンズクラブ

a0087378_1058279.jpg 後ろの高地一帯が「とりで」で、この平地はその出丸の一部とのことなので、その先まで進んで、その高地を確認する。
 これは、その高地を北側から眺めている。先に重機が見えるところが水道施設のあった平場だ。多分、下の方に見える道筋が、先の散策で山王社まで下った道筋で、その手前に下る道筋が先の散策で山王社から登ってきた道筋だと思う。
 この時は、陽泉寺から道沿いに登ってきたのだが、同じ風景でも見え方が違うなと思う。
 今回は、この辺りに熊出没情報があるので確認しなかった。

 「図解 福島市史」によれば、佐藤家系図によって、文治5年(1189)の石那坂の戦後も大鳥城の佐藤一族は信夫・伊達の各地に残されていたようで、その確からしさは、南北朝期に佐藤十郎左衛門清親という左衛門官位の身分の存在で明かなのだと言う。
 ただ、ここは二階堂氏の居城した舘候補地の一つとみれば、ここが「佐藤氏が残されていたことを伝える場所」という見え方ではなさそうに思う。
by shingen1948 | 2015-07-22 10:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)