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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近の風景~玉森山(玉の森)②

 観音寺付近については、米沢街道筋の確認や民家園に移築されている商店の位置確認等で何度か散策している。
a0087378_1843610.jpg その観音寺に「古佛塔由来(普賢菩薩)」があって、その脇に次のような案内板が建っている。
 
「古佛塔由来(普賢菩薩)」
 観音寺開基の地、玉の森山(南東1キロの中腹)に埋もれしものを、此処に供養したものである。頭部に梵字アン(竜)が刻まれおり、これは普賢菩薩の塔である。文殊菩薩が知恵の仏さまであるのに対して、普賢菩薩は、その智をもって行動を起こし、願いを成就するのを助けます。普賢菩薩は昔、人々の幸福と作物の豊作を祈って建てられたといわれ、行動の仏様であるから、実際に大願成就を望む人は必ず普賢菩薩のご利益を忘れてはなりません。
 観音寺が玉の森にて焼失以前のものとすれば、5百年以上昔のものと思われます。山主
 ご真言:オンサマヤサタバン(3反)
 こ利益:入学・就職・婚姻等・大願成就・農事豊作・除災安穏等

 「頭部に梵字アン(竜)が刻まれおり」と表現した部分は、実際にはa0087378_187167.jpg左の梵字で示されている。

 その「観音寺開基の地、玉の森山(南東1キロの中腹)に埋もれしものを、此処に供養したものである」との部分の確認から、玉森山(玉の森)が、観音寺の旧地とされる事を知ったのであって、散策中に気づいていたのではない。
 その玉の森山からこの古碑を移動したとあることを確認すると、「信達ニ郡村誌」の上鳥渡の「古跡」の項に、「玉森山」の3基の古碑が以下のように紹介されている。
 玉森山 
 麓より少しく登り古碑3有り 
 南なるもの高3尺1寸幅2尺7寸8分厚9寸8分仰傾覆らんとす 梵字1有り 文字読可からす 
 少しく下り東に向ひ僵俯するもの 縦5尺7寸 横2尺8寸 厚1尺1寸 文字見へす 
 其次東向するもの高4尺5分 幅2尺4寸5分 厚7寸 上に梵字有り 下に建治2年丙午9月13日読むへし
 「福島市史資料叢書」で確認しているところだが、その注釈に、「玉ノ森の『建治2年』板碑は現在不明。種字だけの1基は横倒しになっている」とある。
 「下に建治2年丙午9月13日と記される」のは「東向するもの」で、これが所在不明であるらしい事が分かる。
 この石碑は、残りの「仰傾覆らんとする南なるもの」か「少しく下り東に向ひ僵俯するもの」のどちらかという事になる。
 「少しく下り東に向ひ僵俯するもの」は「文字見へす」とのことだが、観音寺の「古佛塔」は、1字見えている。 「梵字1有り 文字読可からす『仰傾覆らんとする南なるもの』」の方で、「福島市史資料叢書」の注釈にある「種字だけの1基は横倒しになってい」たものだと思うが、どうだろうか。
 
by shingen1948 | 2015-07-17 18:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)