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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社③

 神社に仏像が神体として祀られたり、別当が僧形で神勤したりしていた時代の山王社の様子の情報を頭におきながら、散策の中から鳥渡山王社情報を拾う。
 まずは、案内板の説明だが、「この社の山号を開眼山といったことから『眼病を癒す神』としても信仰されてきた」とある。
 この社の山号が開眼山という事からは、この社の別当寺であろう開眼山の寺院の存在を思わせる。ここに「ふくしまの歴史近世」で見つけた情報を重ねる。
 福島市平石字湯が原の「山王道道標」について解説する中に、この鳥渡山王社について次のように説明する箇所がある。
 別当の明光院が開眼山という山号であったために目の神様としてあがめられました。本来が山の神であることから県北地方のみならず、会津地方にまで信仰する人が広がっていました。
 また、寺院側の情報では、山王社は天台宗とのかかわりを思わせる。比叡山の山王社の場合、延暦寺ができると天台宗の守護神となり、天台宗が全国へ広がると同時に、山王社も全国に広がったとのことだ。

 「鳥渡山王社」の別当寺は、「開眼山明光院」という天台宗の寺ということになるようだ。ただ、その所在地が分からない。
 半沢氏の「歴史地図」では、近くに多くの廃寺跡をプロットするが、この「開眼山明光院」についてのプロットは見かけない。確実な資料がないのだと思う。
 ここからは、散歩を楽しむ者の勝手な想像として、山王社から朝日館に向かう途中にイメージしてみている。 先に、里の霊山寺が発掘され、その現地説明会に出かけた事について整理したが、その里の霊山寺と日枝神社との位置関係からの勝手に想像を膨らませてみている。
a0087378_11462836.jpg もう一つ、案内板の説明から読み取れるのは、正面にあった仁王門は明治初年の神仏混淆禁止の折に庭坂の清水観音堂に移してしまったということ。
 その移された「信達33観音8番札所清水観音」については、「飯坂古道⑧~米沢街道との接点付近⑤」で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10966813/
 山門が現実世界と不思議な異世界の雰囲気との境界と思わせる山門であったことを思い出す。この山門が、この山王社の正面にあったということだ。

 更に、散策の中では、神社の右手崖下に護摩壇が残っていることを目にする事ができる。
by shingen1948 | 2015-07-13 11:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)