地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社②

 解説に「もともと山王様は農耕を守る山の神である」とあり、半沢氏の「歴史地図」のメモでも、古い山の神であったとしている。
 その雰囲気を確認するのに周辺を歩きたいところだが、この公園内に熊が出没しているという情報が流れているので、今回は散策しなかった。
a0087378_4315242.jpg これは、平成21年(2009)4月2日に、山王社から西側の散策路を経由して朝日舘に向かい、朝日舘から東側の散策路を通って戻る途中に撮ったものだ。
 その時の山の雰囲気を思い出しながら、今回は「信達一統誌」にある「当社(山王宮<上鳥渡邑>) 本地は弥陀薬師釈迦三尊なり」ということの確かめを整理する。
 明治政府と称する西軍は、慶応4年(1868)に仏像を神体とすることをやめさせるのだが、「信達一統誌」によれば、それ以前は「当社本地は弥陀薬師釈迦三尊なり」ということだったということだ。
 元々は、日本の神々の正体は仏や菩薩であって、日本人を救うために仏や菩薩が仮に神々の姿になって神社に祀られていたという見え方だったのだ。
 それが、仏像を神体とすることを禁じられ、神社所属の僧侶の還俗が命じられ、社前の仏像や仏具を取り除かされて、日本の神々の正体がねじまげられたということだ。
 この山の明治以前の本来の山の雰囲気について語られる資料が見つけられないので、他の山王社の雰囲気について語られる資料から本来的な雰囲気を感じ、それを元に、この山の雰囲気を類推することにする。

 愛知県清洲にある日吉神社の宮司三輪隆裕氏が本来的な雰囲気を述べておられるのを見つけた。
 http://hiyoshikami.jp/hiyoshiblog/?p=66
 三輪氏の日吉神社では、江戸時代に境内にお薬師様を斎って、山王宮と称していたという。ここ鳥渡山王社でも「当社(山王宮<上鳥渡邑>) 本地は弥陀薬師釈迦三尊なり」ということでお薬師様を斎って、山王宮と称されているという共通項がある。
 ここで語られている本来の風景の概要は次のような事。

 当時の神社は仏教と習合していて、神社にお坊さんが入り込んで実権を握っていたので、神社には必ずといっていいほどお寺や仏像がくっついていたという。
 そして、権現という仏教の何らかの仏様が、日本の神様となっていらっしゃるという思想が一般的であったとのこと。それぞれの神に相当する仏が境内にまつられたり、神社を仏教の神名や、インドの神様の呼び名で呼んだりしていたという。
 山王の場合は、神名が山王権現であり、その意は山の霊魂が神として出現したということのようだ。

 当時のお寺もまた、普通に神社が一角にまつられ、これをその寺の鎮守といっていたのだとか。

 この情報を頭に置きながら、散策で得た鳥渡山王社についての関連情報を重ねる。
by shingen1948 | 2015-07-12 07:30 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)