鳥渡山王社
2015年 07月 10日
神社 鳥渡山王社解説に「もともと山王様は農耕を守る山の神である」とあるが、半沢氏の「歴史地図」のメモでも、村をつくった時の鎮守の神としての見え方を大切にしているようだ。
ここはもと山王権現といい、明治以降「日吉神社」となった。この社の山号を開眼山といったことから「眼病を癒す神」としても信仰されてきた。しかしもともと山王様は農耕を守る山の神である。また猿をお供にしている山王様は信達の人々から農馬を守護してくださる神としても信仰されてきた。このため神前には赤い着物をきている猿をかたどったぬいぐるみが供えられているし、境内には猿の石像があげられている。信達地方の各地からの参拝者が多く「山王道」が集まるようにできていて、その道標はいまもその道道に立っている。社前の燈籠は半田銀山の講中の人々が献上したものである。正面にあった仁王門は明治初年の神仏混淆禁止の折に庭坂の清水観音堂に移してしまった。今の社殿は明治42年(1909)の火災の後の建築である。
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鳥渡山王(日吉神社)「信達一統誌」でも、山王宮(上鳥渡邑)でも「山のふもとにあり、産神なり」とする。ただ、後半は「当社本地は弥陀薬師釈迦三尊なり」として神仏混淆にふれる。
目の神、馬の神、かいこ神とされているが、古い山の神である。鳥川に住む人々が荒川の水を引いて田をつくり、村をつくったとき、鎮守の神としてまつったもの