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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社のマカテヤ記念碑②~山田村の散策振り返り21

 「仏領マカテヤ記念」に刻まれた事を読む。
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 「仏領マカテヤ記念」
 石旗杙寄付人名
 信夫郡鳥川村 28名・同郡佐倉村2名・同郡平田村2名・同郡水保村2名・同郡吉井田村1名・同郡杉妻村1名・同郡松川村1名・伊達郡湯野村1名・伊達郡梁川町1名・信夫郡○村2名・同郡荒井村2名・相馬郡鹿島町1名・信夫郡○山村1名・同郡余目村1名・
 ここから下2段が列記される。
           大正元年12月
                        氏子総代3名

 これが、下2段の列記部分だが、その列記前に「社堂」とあるのが読める気がする。
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 刻まれている事の特徴の一つは、「仏領マカテヤ記念」とあって、移民先が仏領マカテヤ(ア)に特化されていること。そして、その内容が「石旗杙寄付人名」として、寄付者が列記されること。また、下2段の寄付者前に「社堂」とあること。
 更に、大正元年12月の日付で氏子総代3名の列記があることだ。

 ここから想像できる内容は、仏領マカテヤ(ア)島に移民されることになった方々が、その記念に「石旗杙」代として鳥渡山王社に寄付されたのだろうということかな。それで、3名の氏子総代の方の責任のもと、石旗杙と社堂費用として決算し、この記念碑を建立したという事なのだと想像する。

 大正元年の日付からその移民の背景を想像すれば、今までの整理の中では「海外渡航記念燈」の案内板に掲げられた事に近いのだろうと思う。再掲する。
 明治から大正にかけて、荒川氾濫、凶作、それにさまざまの条件が重なって地主への土地集中がすすみ、土地を失った人々の海外移民が続いた。ここ荒井八幡の渡航記念燈は、海外移民の浄財で建立されたその歴史の記念塔である。

 「ここ荒井八幡の渡航記念燈」以下の部分を、「この『仏領マカテヤ記念』碑に掲げた石旗杙と社堂は、海外移民の浄財で建立、修理されたその歴史の記念碑である」と読み替えればいいのかな。

 仏領マカテヤ(ア)島に特化していることとのかかわりを、移民を推進した側からの資料で探れるかを試みてみる。
by shingen1948 | 2015-07-04 07:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)