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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策振り返り⑬~好国寺

 今回は小田村から山田村の山王道の道筋にこだわって整理してきたが、その前に、天神社から好国寺にかけての山王道の道筋を確認したり、奈良輪家跡とか、双式逆修碑の供養塔の整理にかかわって好国寺付近の山王道の道筋を確認したりしてきた。
 〇 旧奈良輪家
 http://kazenoshin.exblog.jp/13970982/
 〇 奈良輪家旧地推測~大森城裏口付近
 http://kazenoshin.exblog.jp/13964584/
 〇 大森城裏口付近を散歩して
 http://kazenoshin.exblog.jp/13989115
 〇 城裏口の石造供養塔(板碑)~大森城付近
 http://kazenoshin.exblog.jp/13951215/
 山王道を意識したその続きを「好国寺」の確認から続ける。
a0087378_11355251.jpg 「信達ニ郡村誌」では、山田村の寺として次のように紹介する。
 「好国寺」
 元標の北9町 東部寺之前に在り 境内東西21間南北28間 門内道敷幅1間半 長29間 合段別2段1畝1歩(官有地) 岩瀬郡矢田野村曹洞宗長寧寺末派なり 慶長年間長寧寺第2世善嶺和尚開創す 上杉家臣長尾大学 後 山田意休と称す 伽藍を再造するを以て 中興開基と称す 本堂の南に碑有り 正面に当寺中興開基教山意休居士 右側に右意休居士者寄 進田畑山林建立殿堂 奉彫刻本尊 依此功 従本山贈賜開基居士号者也 左側に宝永元庚申年9月28日玉林山好国寺現住善苗叟誌 山田氏孝子謹誌を蠵(?)る

 ここで紹介される「上杉家臣長尾大学後山田意休と称す」方は、先に「山田村」の項で、「上杉定勝の臣長尾大学 本村に居り平民と為り山田意休と称す 寛永7年別に帳簿を作り開拓す」と紹介された方だ。
 この方について、「福島市史資料叢書」では、「山田意休は長尾大学の子で久右衛門と称した。大学が意休と称したのではない」と注釈されている。
 「半沢氏のフィールドワーク地図」の「好国寺」では、次のメモが記される。
 「再興 山田意休夫妻墓碑 宝永元年(1704没)(長尾久右衛門もと米沢藩上杉氏家臣山田の開拓者)。「長尾久右衛門大学」の開拓として「寛永7年(1630)頃上杉氏の新田開発奨励政策により帰農したという。猪鹿防除のため鉄砲役免除」

 半沢氏と「福島市史資料叢書」で、山田意休氏=長尾久右衛門氏までは同じ意見なのだが、長尾大学氏とのかかわりの意見が割れる。
 半沢氏は、長尾久右衛門=長尾大学としているが、市史編纂では、長尾大学氏が上杉氏家臣から帰農して新田開発し、その子長尾久右衛門氏が「好国寺」を中興開基するという関係性になるようだ。

 素人なのでよくは分からないのだが、実際に「右意休居士者寄 進田畑山林建立殿堂 奉彫刻本尊 依此功 従本山贈賜開基居士号者也」の行為実行者はその子であろうが、祀られている方と行為実行者が同一人とは考えにくいような気もする。
 廻りくどい言い方になったが、簡単に言えば半沢氏の見方でいいのではないかなということ。
by shingen1948 | 2015-06-25 11:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)