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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策振り返り⑪~平石の朝日舘から鹿島神社の間の山王道筋

 小倉舘の牧野氏の具体像はよくわからないのだが、伊達氏中枢にいた牧野氏という重臣とのかかわりが想像されているのだろうと想像する。
 先の牧野氏も、自領の七ヶ宿から伊達領を逃れて相馬領への逃走の途中、大森城主伊達実元公に身を寄せ、そこから会津に身を寄せ、相馬藩に仕えるようになるようなので、この時点でも、近くでの動きはあるようだ。
  
 これから、平石の朝日舘からここ鹿島神社までの山王道筋を逆方向から整理しようと思うのだが、その道筋は、鹿島神社から陽林寺への道筋に入って、その途中から左手に抜けていく道筋を進む事になる。
 ということで、改めて陽林寺についての情報を眺めていたら、その創建時情報に牧野氏を見つけた。小倉舘の牧野氏が、具体的にどの方のどの時期の牧野氏なのかはよく分からないのだが、牧野氏という氏名に敏感になっていたのだろう。
 
 陽林寺は、永正13年(1585)に稙宗公によって開かれる。そして、大森城主実元の保護によって栄え、その後も領主の保護を受けてそれなりに栄えていたということのようだが、その創建時に、伊達家臣の桜田氏と共に牧野氏が周辺の所領を寄付したとの記録もあるという情報だ。

 さて、平石の朝日舘へ向かう山王道筋だが、鹿島神社から陽林寺に向かう道筋に出るところまでは、陽林寺への案内板も建っているので直ぐに分かるのだが、ここから東の山越え道に入る道筋がなかなか見つけられなかった。何度か挑戦して、やっとそれらしい道筋を見つけた。
a0087378_1383347.jpg これが、その東に入る道筋。
 なかなか見つからなかったのは、小心者である自分の性格に由来していた。
 というのは、この道筋の先に民家がある。その私道かもしれないということで躊躇してしまっていたのだ。
 勇気を出して進んでみて、民家の手前を右手に進む道筋らしきものを見つけたということだ。暑い日で半ズボンだったので、無理をしないで、進める所まで進んでみる事にした。
     ◇       ◇        ◇         ◇       ◇
 整理しようとしているのは、平石の朝日舘から鹿島神社の間の山王道だが、最近歩いているのは、山王権現様近くの山王道筋だ。
 気になるのは最近の熊情報で、6/8福島市山田字音坊 地内(19時頃、車で荒井から福島市内へ向かう途中、右側の道路沿いの竹やぶにいるクマ(体長約1m)を目撃したもの)、6/11福島市上鳥渡山王 朝日舘公園(13時頃、公園で10m離れたところを歩くクマ(体長約1m)を目撃したもの)
 山王権現様は、この朝日舘公園内だ。元々小心者で無理はしないのだが、今回は特に深入りは控えた方がよさそうだなと思う。
by shingen1948 | 2015-06-23 13:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)