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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策振り返り⑤~山王道筋沿いの鹿島神社

 水原への道筋は次の機会にして、平田村内の山王道は確認しようかなと思ったはず。まずは、山王道筋沿いの小田鹿島神社について整理する。
 神社前に案内板が建っていて、多様な解説があっていろいろと説明される。その中で、境内については次のように説明される。
 境内には霊石の要石があり、この石に触れると安産になると信じられている。また、かつて境内の前を流れていた濁川に架かる石橋は、明治21年に建立されたもので「よろづ世にかけて朽ちせじ里の名のおぐらのはしの名さへ橋さへ」と地域の発展を願った和歌の碑が残されている。
 その他境内には、鎌倉初期の石造宝塔、山中太郎右衛門頌徳生祠、欅(けやき)榧(かや)の古大樹、小社たまる福稲荷等がある。
 ここに案内されることのいくつかが、なかなか確認できなかった。
 要石と小社たまる福稲荷については、そこにも案内板が立つので直ぐに分かる。ただ、要石については、鹿島神社縁であることは誰もが知っている事として説明は省略されている。この案内板の解説も、地域の人々が民間信仰として、その御神徳として信じている事のみが解説される。
a0087378_4412191.jpg こちらが、半沢氏が「歴史地図」に「小ぐら橋の碑」とメモするものと思われる。明治21年国学者菊田和平氏建立とか。案内板には「かつて境内の前を流れていた濁川に架かる石橋は、明治21年に建立されたもので『よろづ世にかけて朽ちせじ里の名のおぐらのはしの名さへ橋さへ』と地域の発展を願った和歌の碑が残されている」と解説される。

 確かに、この「石橋の碑」左側面には地域の発展を願う思いを小倉橋の思いに重ねて表現したというその和歌が刻まれているのだが、その裏面には「石橋発起人」と「有志者」名が刻まれている。
 この「石橋の碑」は、国学者菊田和平氏建立やその和歌を誇っているのではなく、地域の力でこの石橋ができた事を誇っているように読める。それで、写真は、裏面から撮ったものにした。
 当時の人々にとっては石橋それ自体が誇るべきものなのだろうということに思い至る。
 そういえば「のりしろ散歩」では「橋供養塔」をみつけたなと思い出す。現代の時代を見聞する散歩人には、さもない橋にしか見えないのだが、そのことは感覚の麻痺なのかも知れない。曇った感性を磨き直す必要がありそうだとの思い。
by shingen1948 | 2015-06-14 07:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)