地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策:伊達氏の影かな?

a0087378_8354259.jpg これは、散歩中は気になる風景として捉えたに過ぎないのだが、半沢氏の「歴史地図」を眺めると、「高(光)福寺跡」がプロットされる位置に近い。そのイメージに近い風景かなとも思う。
 このメモで気になるのは、何となく伊達五山を意識していないかなということ。

 ここは、小字名は「高福寺内」だが、表記が「高(光)福寺跡」となっている。意識しているのは「光福寺」でないのかなと思うのだ。
 解説のメモは無いのだが、ここは伊達氏とかかわりの深い地だ。その地で「光福寺」ということは、伊達氏第4代の政依公が義広夫人のために建立したという「光福寺」をイメージしたのではと思うのだがどうだろうか。

 桑折町と梁川町の伊達五山跡については先に整理している。
 もう一度確認すると、伊達五山は、伊達氏第4代の政依公が自身のために「東昌寺」を、曽祖父念西(伊達氏初代)のために「満勝寺」を、念西夫人のために「光明寺」を、父義広のために「観音寺」を、義広夫人のために「光福寺」を建立したもの。いずれも臨済宗の寺院とのことだ。
 現在これら伊達五山の寺は仙台に移動されているが、桑折町と梁川町にはその跡地が残る。
 東昌寺跡が推定されるのは桑折町万正寺地区の古釈迦堂で、満勝寺跡も万正寺地区内に残る。
 国見町光明寺地区の福聚寺境内に念西夫人の墓はあったが、この寺は、光明寺の塔中の一つで、念西夫人の墓を守るために残ったのだろうとされていた。
 観音寺は、中屋敷観音説や国見町徳江の観音寺説もあるようだが、桑折町万正寺地区の坂町の説が有力らしい。
 そして、光福寺は、字名が残っている現在水田となっている地点だろうと思われているようなのだ。

 その光福寺との関連を意識していると思うのだが、その痕跡が残っているということなのか、地名からの推定なのかというその確からしさについては分からない。

 なお、梁川町の伊達五山跡については、梁川城の散策の中で整理している。
by shingen1948 | 2015-06-05 08:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)