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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策:小田村とのかかわり②

 小田村の「東覚寺」から山田村に山王道の東側の道筋を戻る。この道筋も元々の道筋かも知れないなと勝手に思うのは、山田村の御堂に突き当たるからだ。本当のところは知らない。
a0087378_15121639.jpg 北側と南側の高地に挟まれた田園風景を山田村側から眺めてきたのだが、地図で確かめると、この平地の真ん中を流れる中井川の北側は山田村で、南側が小田村になっているらしい。これは、その小田村側の水路なのだが、半沢氏の「歴史地図」の以下のような洽田記の碑の解説メモとのかかわりで気になっている。

 洽田記の碑(関宿領信夫郡小田村とある)
 文化5年(1808)2月関宿藩(千葉県)大森陣屋に名主らが願い出て沼を開削現在の平田小学校北側一帯の日干害を防いだとしての記念碑(代官所より費用10両下賜される)
 今回、「洽田記の碑」の確認をしていないが、そこに記される沼によって干害を防いだのが、平田小学校北側一帯ということのようなのだ。ならば、中井川の南側のこの水路がそれとかかわるような気がするのだが、本当のところはどうなのだろうか。

 先に記したように、この道筋を進むと昭和39年建立の山田耕地整理記念碑が建つお堂に突き当たる。
a0087378_15143027.jpg この御堂だが、地区名としては虚空蔵前ということなのだが、半沢氏の「歴史地図」では「田植え地蔵」が案内されるのでその地蔵堂なのかな。
 この地蔵さま、「福島市『信夫村』口頭伝承」のページに【高倉の田植地蔵】として案内されていた地蔵さまだと思う。 まだ、その出典資料の確認はしていないが、引かせていただく。
 http://members.jcom.home.ne.jp/rikka/chimei/chimei_04sinobu_idx.html
 山田の高倉にある延命地蔵堂は、土地の人々からは「田植地蔵さま」と親しまれている。堂の中には、地蔵の木像が、何体かまつられている。
 むかし、山田は田植えの時期になっても、水が少なくて田植えに困っていたという。その時も、やはり水が不足していて、田植がなかなかはかどらないでいた。それでも、何日かのあいだに、苗が植えられていった。ところが、地蔵堂の近くにあった田の数枚は、どうしても水が少なく、田植えができないでいた。
 すると、ある夜、一晩のうちに、この残っていた田に苗が青々と植えられていたという。そこで部落の人々は、これは誰の仕わざなのだろうかといっていたところ、地蔵堂の石段に、小さな泥の足あとが乱れてついているのを見つけた。それで、お堂の扉を開いてみたら、お堂に納められていた何体かのお地蔵さまの足の全部に、泥がついていたという。
 それから、部落の人々は、この地蔵さまを、「田植地蔵さま」と呼ぶようになったといわれている。
(『「福島市史」別巻Ⅳ 福島の民俗Ⅱ(信仰伝説 神・仏)』より)

by shingen1948 | 2015-06-04 15:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)