地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山田村の散策:小田村とのかかわり

 山田村の散策で、山田村の主要な道筋の一つとして山王道を歩いたのだが、これをたどると小田村との結びつきが気になってくる。
 その一つが、学校。ニ郡村誌の岩代国信夫郡小田村の学校の項で次のように紹介される。
 共立学校
 元標の艮位3町5間 東覚寺の本堂を以て仮教場とす 山田村と合併たり 男生徒58人女生徒13人
 ニ郡村誌の岩代国信夫郡山田村の学校の項でも、元標との位置関係以外は同様に記される。
 その「東覚寺」を確かめる。
a0087378_15314945.jpg 山王道と水原線との交差点から、水原線沿いに進んで現平田農協の交差点を右に折れて西に進むと「東覚寺」前に延享3年(1746)の巳待供養塔が建つ。その供養塔を眺めていたら地元のおばあさんに声をかけられる。

a0087378_15325252.jpg 供養塔の左手の細道を進んだところにあるこの建物が、その「東覚寺」の本堂かなと思う。「ニ郡村誌」では、次のように紹介される。
 「近江国滋賀郡東坂本村天台宗延暦寺末派なり 開山を定範といふ 弘治3丁巳年(1557)3月15日寂す 旧字程平に在りしか天明2年(1782)焼失し今の地に移る 僧正海代なり 故に正海を以て中興とす」

  学校の説明にあった小田村の元標との位置関係だが、艮位は北東の方角の意だ。逆に見れば、元標はこの本道の南西3町5間の位置にあるということになる。
 「ニ郡村誌」の小田村「里標」の項を確かめると、「元標を西部明内前に建つ」とある。現在、明内前の地名は消滅しているが、「明内」・「本内」・「久保前」・「鹿島前」の小字とのかかわりから、水原線と山王堂の交差点のもと平田小があったとされる地点からやや西に進んだ付近なのだろうと思われる。
 つまりは、山王道からこの東覚寺へ向かって出発した地点附近ということだ。

 なお、山田村と合併して平田村となった時の平田村道路元標は、東覚寺尻にあったという。「東覚寺尻」の地名は確認できないが、小字名としての「東覚寺」の地名は確認できる。どっちが尻でどっちが頭かは確認できないが、何となく小字「本内」が頭かなと勝手な想像をすれば、「東覚寺尻」は現平田農協の交差点附近かなと勝手に想像している。
by shingen1948 | 2015-06-03 15:35 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)